第1382回2026年4月17日配信
陽気ぐらしとは
陽気ぐらしとは、一時の喜びや嬉しさといったものではない。教祖のひながたを台に考えてみる。
陽気ぐらしとは
陽気ぐらしとは、ある事柄についての感情的な喜びや嬉しさに基づく陽気さを意味するものではありません。むしろ、その時その場は浮かばれないような心弾まぬ事柄であっても、その中に込められている親神様の思惑を汲み取って、勇んでいく歩み方を指します。
その歩み方は、教祖・中山みき様「おやさま」が残された、私たちが生きる上での指針とするべき「ひながた」の中に見出すことが出来ます。
嘉永六年のこと、教祖の夫・善兵衛様が出直されたこの年、母屋を売り払われた時の逸話は、まさにこのことをよく物語るものです。教祖の道すがらを記した「教祖伝」には、このように書かれています。
かねて、買手を捜しておられた中山家の母屋も、望む人があって、いよいよ売られる事となった。母屋取毀ちの時、教祖は、「これから、世界のふしんに掛る。祝うて下され」と、仰せられながら、いそいそと、人夫達に酒肴を出された。人々は、このような陽気な家毀ちは初めてや。と、言い合った。(第三章 みちすがら)
通常の人間的な感情から言えば、長年親しんだ母屋を取り壊すことは、心寂しい悲しむべき出来事です。にもかかわらず教祖は、陽気にいそいそとこれに対処されました。
教祖は、難渋を抱える人々に、「ふしから芽が出る」と度々お諭しになりましたが、その通り、夫の出直しという大きなふしから、この教えが伸び広がる先を見据えてのご態度だったのです。何も知らぬ周囲の人々は不思議がりましたが、「世界のふしん」に掛かる第一歩となるのですから、教祖としては当然の勇んだ姿だと言えましょう。
そもそも、陽気な人と言えば、元来朗らかで楽天的な気質の持ち主という風にイメージされますが、それではそのような気質を持たない人は、陽気ぐらしに向かないのでしょうか。
教祖直筆による「おふでさき」に、
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから (十四 25)
とあるように、私たち一人ひとりには、陽気ぐらしをさせてやりたいという親神様の思いが込められているのです。
真の陽気の在り方とは、誰もが潜在的に持ち合わせているものであり、それは教祖のひながたを頼りに、日々教えを実践していく中に、自然に湧き立ってくるものなのです。
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