(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1185回

里の仙人

教祖は、水ごりを取りながらおたすけに奔走する者に「この道は、身体を苦しめて通るのやないで」と諭された。

里の仙人

 

人並み以上に霊感が鋭く、人の心の内を見透かしたり、病気を治したり、思うことが思うように実現してしまう。長い歴史の間には、そういう人知を越えた能力を持つ人物も存在したように伝えられています。厳しい難行苦行の末に特別な力を身につけたこのような人たちは、「仙人」と呼ばれ、無欲で世間離れした人のたとえにも使われます。

天理教では、人の救済はあくまで神様のご守護によるものと教えられます。信仰実践において、霊的な力を身につける厳しい修行などは奨励されていません。

教祖・中山みき様「おやさま」は、人里離れた場所で行を積む「山の仙人」ではなく、「里の仙人」に成るのや、と仰せられました。「里の仙人」とは、あくまで社会の一員として暮らしながら、神様の教えを進んで実践し、人々の手本雛型となるような生き方を指します。

このような逸話が残されています。

明治の初め頃、泉田藤吉さんは、大阪で熱心に布教に励んでいました。しかし、なかなか人を導くには至りません。藤吉さんは、心が倒れかかると、わが身、わが心を励まそうと、厳しい寒さの深夜、淀川に出て二時間ほども水に浸かりました。さらに、堤に上がって身体を乾かすのに、手ぬぐいを使っては効能がないと、身体が自然に乾くまで風に吹かれていました。寒い北風に吹かれて身体を乾かすのは、身を切られるような痛みでしたが、我慢してこれを三十日ほど続けました。また、天神橋の橋杭に捕まって、ひと晩川の水に浸かってから、おたすけに歩く日もありました。

そのような道中、ある時おぢばへ帰って教祖にお目通りすると、教祖は、「この道は、身体を苦しめて通るのやないで」と仰せくださいました。藤吉さんは、このお言葉を承り、神様からのかりものである身体の尊さを、身に沁みて納得させていただいたのです。(教祖伝逸話篇 64「やんわり伸ばしたら」)

藤吉さんは、まさに孤高の修行者のように、身体を痛めながらおたすけに奔走していました。このような姿も実に尊いものです。しかし、教祖の仰せられる「里の仙人」になるには、家庭や職場での幾通りもの人間関係の中で、心を治めて通らなければならないのですから、これも決して容易な道ではありません。

平凡な日常の中でも、俗事に紛らわされることなく、常に神様の教えを指針として行動する。そんな「仙人」のような姿が、陽気ぐらしの輪を広げていくのです。

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