第1147回2021年10月9日・10日放送
根を掘る
私たちが心豊かに生活するための「根っこ」になるものとは何か。「根」と「枝」にたとえられたお言葉をひもとく。
根を掘る
ピラミッドのような形状を四角錐と言いますが、実に据わりが良い形で、底の面積が大きければ大きいほどどっしりと安定しています。しかし、先が尖っているので、逆さまに立てれば、たちまち倒れてしまうのは周知の通りです。
どんなものでも、広く根を張った厚みのあるものは、簡単に倒れたりすることはありません。反対に、「根無し草」という言葉があるように、根の張っていないものは、少しのショックでゆらゆらと揺れ動いてしまう、実にもろいものです。
さて、私たちが心豊かな生活をする上での「根っこ」になるものとは何でしょうか。天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、根と枝にたとえられた次のようなお歌があります。
ゑださきハをふきにみへてあかんもの
かまへばをれるさきをみていよ(五 42)
もとなるハちいさいよふでねがえらい
とのよな事も元をしるなり(五 43)
「幹から次々に伸びていく枝先は、大きく花を咲かせ、実をつけ、実に立派だが、実際はもろいもので、ちょっと力を加えれば簡単に折れてしまうことがある。それに比べると、元というのは小さい目立たないものだが、大地に深く大きく根を張って、伸びていく枝先をしっかりと支えている。これと同じように、何事においても、ただ目先の繁栄や形の立派さに心を奪われるのではなく、元を知ることがいちばん大切なのである」
ここで言う「元」とは、神様が、この世界と人間をお創りくだされた「元初り」の真実のことです。私たちは、私たち自身が存在する理由、すなわち「人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたい」という神様の深い思召を知ることによって、心の据わりが安定し、人生の行方を見定めて日々を暮らしていけるのです。
さらに教祖は、
このねへをしんぢつほりた事ならば
ま事たのもしみちになるのに(五 66)
とも記され、人間世界の根本を知り、それを掘り下げ、しっかり心に治めることができたなら、この先、実に頼もしい道が待っているのだと教えてくださいます。