(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1143回

満足さして連れて通る

子供を「満足さして連れて通るが親の役」と仰せられる。子供にとっての〝満足〟とはどういうことか。

満足さして連れて通る

 

小さい子供が何か欲しくて駄々をこねていますが、お母さんは頑として買ってくれません。お母さんは子供をなだめすかし、ほかの物に目を向けさせようとしますが、子供は一向に承知せず、とうとうその場に座り込んでしまいます。

お母さんには打つ手がありません。
「もう知らない。一人でいつまでもそこに座っていなさい。お母さんは先に帰りますよ」。
置いていかれると感じた子供は、必死にお母さんにしがみつきます。
「もう、わがまま言わないのね」。すると、子供はようやくこっくりとうなずきます。

このような場面、皆さんも出合ったことがあると思います。どれほど叱られても、突き放されても、追いすがり、しがみつける親のいることが、子供にとってどれほど幸せなことでしょう。

子供可愛い心が親心、親を信頼し、すがりつく心が子供の心。親心と子供の心は決して切り離して考えることのできないもので、この双方が溶けあい、一つの愛情の形となるのが理想の親子関係ではないでしょうか。

神様と私たち人間の関係も、決してこれと別のものではなく、その関係は親子であると教えられます。親の理があって子がある、子の理があって親があることを悟らなければならないと思うのです。

次のような、神様のお言葉があります。

元というはをやという。をやという理は可愛い理に育てば、どんな所も育つ。親と成りて育つるは可愛いという理を以て育てるよう。「おさしづ」M22・11・29)

親があって子という。子は何人(なんにん)あれど皆可愛もの。「おさしづ」M31・3・30)

親として、子供が可愛いという心さえ持っているならば、どのような中でも育てることができると、神様は私たちを勇気づけてくださいます。

さらに、

大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そうなる。親が怒って子供はどうして育つ。皆、をやの代りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。(M21・7・7)

ともお諭しくださっています。

「満足さして連れて通る」とは、子供を甘やかし、好き勝手をさせることとは違います。それは長い成長期間を経た上で、「親が自分をここまで立派に育ててくれた」と、子供自身が気づくことです。

小さい時は分からなくても、成長段階において、その親心は徐々にしみわたり、親に対する深い尊敬と感謝の気持ちが芽生えてきます。そして、自らもこのような親になって、子供を育てたいという思いが募ってくる。これが「子供の満足」というものであり、親の果たすべき子育てではないでしょうか。

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし