(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1128回

満足さすがをやの理

はるばる故郷へ帰ってくる子供たちに、親心をかけ、満足させるのが親のつとめ。教祖のご逸話に学ぶ。

満足さすがをやの理

 

正月やお盆の前になると、親は可愛い我が子の帰りを心待ちにしていることでしょう。仕事や学業は順調なのか、どんな土産話を聞かせてくれるのか。いや何より、元気な顔を見られればそれで十分、まずはどんなものを食べさせて元気づけようか。そんなことを考える親も多いはずです。もちろん子供からしても、親に元気な顔を見せて安心させ、親孝行の一つでもしたいと思うものです。

神様のお言葉に、
「この所は親里、をやとは深き理、深き理なら心の理を運ばねばならん。(中略)やれ/\という、遙る遙る遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう、寒ければ寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸々々出さねばならん。(中略)出て来たなれば、暑ければ暑かろう寒ければ寒かろうと、満足さすがをやの理」(「おさしづ」M23・6・23)

とあります。

親里ぢばは、神様のお鎮まりくださる人類のふるさと。多くの人が元の親である神様を慕って帰り集います。お言葉の「麦に太白」とは、はったい粉に白砂糖を入れたもので、そうして甘いものでも振る舞って、帰ってくる子供たちをいたわってやってくれと仰せられています。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、たすけを求めて寄り来る人々を、常に温かい親心を持って迎えられました。こんな逸話が残されています。

明治八、九年頃、ある雪の日のこと。河内に住む増井りんさんが、およそ三〇キロの道のりを、信貴山を越え、教祖のお屋敷を目指して歩いていました。途中、猛吹雪の中、欄干のない幅の狭い橋を裸足になって進んだりしながら、必死に神様にお願いしつつ、やっとのことでお屋敷へたどり着きました。

お側の者が言うには、「ああ、今、教祖が、窓から外をお眺めになって、『まあまあ、こんな日にも人が来る。なんと誠の人やなあ。ああ、難儀やろうな』と、仰せられていたところでした」とのこと。

りんさんが早速教祖のもとへご挨拶に上がると、教祖は、

「ようこそ帰って来たなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。その中にて喜んでいたなあ。さあ/\親神が十分々々受け取るで。どんな事も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ」

と仰せられ、りんさんの冷え切った手を、両方のお手でしっかりと握られました。

その瞬間、ちょうど火鉢の上に手をあてたような、何とも言えない温かみを感じたりんさんは、勿体ないやら有り難いやらで、胸が一杯になったのでした。(教祖伝逸話篇 44 「雪の日」)

りんさんが感じた、火鉢の上に手をあてたような温かさこそ、本物の親心と言えるのではないでしょうか。

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