(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1112回

いのちみつめて~家族と一緒に居たかった~

末期がんの父親を懸命に支えるご家族。相談に来た娘さんが、涙ながらにすべてを語ってくださった。

いのちみつめて~家族と一緒に居たかった~

奈良県在住・看護師  松尾 理代

 

「『がん相談支援センター』の松尾さんに話を聞いてもらったら?」

彼女は、知人にそう勧められた時、「何を話したらいいか分からない」と思ったとか。知人によれば、彼女の70代の父親は、病状が進んでから、がんと分かり、天理よろづ相談所病院「憩の家」に転院。その後、自宅療養に切り替わり、父親の病気とどう向き合えばいいか悩んでいるとのことでした。

数日して、娘さんご本人が相談に見えました。
席に着くなり、涙。

「何を話したらいいんですか?」と聞くので、「思いつくまま話されたらいいですよ」と伝えました。

「前の病院で診察を受けてから、がんと分かるまでに4か月もかかったんです。父は今まで病気らしい病気をしたことがないので、ショックを受けていました。こちらの病院に来てから抗がん剤治療を受けて、一週間ほどは良かったんですが、身体がだるくなってきて、白血球が下がって熱が出ました。起き上がったり座ったりができなくなって、食欲もなくなっていきました。トイレはポータブルと尿器を使っています。便も自分では出せず、母が搔き出しています。咳をすると胸が痛むみたい」。

「おつらいでしょうね」

「先生は『抗がん剤よりも、がんの勢いの方が強いみたいだ』って。体力もなくなって、悪くなる一方で。抗がん剤治療が原因で、命を縮めたんじゃないか。私が治療を勧めたのは間違いだったのかなって、後悔ばかりしています」

「抗がん剤治療をすることは、お父様とお母様、お兄様と話し合われたのですか?」

「一応聞いてはみたのですが……私が決めたようなものです。転院してきた時、兄と私が主治医から説明を受けたんです。『抗がん剤治療がうまくいったとしても、年内かもしれない』と。年内と言ったら、あと四か月。それだけしか生きられないのかと愕然としました。余命のことは本人にも母にも伝えていません。それでも母は、『お父さんに一日でも長く居てほしいから、抗がん剤治療を受けてほしい』って。父も『お母さんがそう言うなら』と言って、治療が決まったんです」

「お母様も抗がん剤治療を望まれて、お父様も『それなら』って仰ったんですね」

「母はずっと父を支えてきました。だから父は、母の願いを叶えたいと思ったのかな」

「ご両親の姿を側で見てこられたからこそ、そう思うのですね」

「娘から見ても、素敵だなって」

「いいご夫婦ですね。そんな関係だからこそ、抗がん剤治療を受けようと、ご自分たちで決められたのでしょうね」

「そうかもしれません。でも、母は父の余命についてどう思っているんだろう? 入院中、とてもしんどい時に『あと二日もしたら、あっちに逝くんかなあ』って父が言ったことがあって。私、どうしたらいいか分からなくて。言うべきか、言わない方がいいのか。父の状態を見ると、本当に、あと何日かなって考えてしまったり……」

ハラハラと涙をこぼしながら、一生懸命言葉を紡ぐ彼女に、私は答えました。

「余命は分かるようで分からないもの。ご本人に伝えてしまうとカウントダウンが始まって、もっとしんどくなることもある。お父様の言葉をうかがっていると、ご本人は身体で感じ取っておられるように思うんです。そう思いませんか? お母様やお兄様も間近で見て感じ取っておられるはず。家族だからこそ、聞きづらいことってありますよね。何か質問されたら、『何が心配? どうしたい?』と逆に尋ねてみるのもいいですよ」

「そうか、無理に話さなくてもいいんですね。でも、本人は自宅に戻ったことをどう思っているのか心配で。もしかして、治療の仕様がなくて、見捨てられたと思っているんじゃないかって」

「おうちに帰って、マイナスの発言が多いですか? ささやかなことでも、例えば、お母様の作った料理がおいしいとか、そんな喜びの言葉はありませんか?」

「そう言えば、近くに住む父の弟さんがかぼちゃの煮つけを持ってきてくれたら、少しだけ食べられたんです。叔父は嬉しそうに、『今度は何持ってこようか。そう言えば煮凝り好きやったな』と言って、また作って持ってきてくれたんです。父はとってもいい顔になって、『久しぶりに味がしたわ』って、お代わりしてました。病院では固形物が食べられなくて、お薬さえ喉を通らなくなっていたのに。そんなことがあってから、母が作る料理を楽しみにするようになって、家族みんなで喜んでるんです」

「そう。手料理を食べられるなんて、自宅ならではですよね」

「病院にいてしんどい時、『家に帰った方が良くなるのかも』と言い出したのは父で、母も『これだけ頑張ったんだから、おうちに帰りましょう』って。父は自分の足で歩いて帰るつもりでしたけど、それはできなくて」と、また涙。

「お父様、ご自分で自宅に帰ることを決められたんですね? その思いをお母様がちゃんと受け止めて、お世話なさってるんですね?」

「父は身だしなみを気にする人だから、たとえ弟であっても、誰か訪ねてくる時にはちゃんとしていたい。だから母が毎日ひげを剃り、身体を拭いてあげています。娘には決して頼まないんです。私はその代わり、叔父が来る前にきれいに散髪をしてあげました。兄も会社帰りに毎日、顔を出してくれています」

「それぞれができることをなさっていますね。そして、お父様が大切にしたいと思っていることを、同じように大切にされている。素敵ですね。病気が進んで、身の回りのことが少しずつできなくなっても、生き方のこだわりを持ち続けているお父様。それを受け止め、一緒に歩んでいるご家族。お兄さんの好物をおぼえていて、それを心を込めて届けてくれる叔父さま。それらすべてが、お父様の生きる力になっているのですね、きっと」

「抗がん剤治療を受けることも、うちに帰ることも父が決めたんですね。それで良かったんですね。知人が『がん相談支援センター』を勧めてくれた時は、何を相談したらいいかも分からなかった。でも、こうやって話を聞いてもらうことで、見えていなかったことが見えてきた。私だけが決めたんじゃないと分かって、心が救われました。父は今、家族や叔父との会話を楽しみつつ、自分の人生、そして家族との人生を振り返っているんだなと思います。病気が進む中でも、しっかりと自分の人生を歩んでいる。それが嬉しいんです」

彼女は真っ赤に泣きはらした目を上げ、「これからの父との時間、大切にします」と言って、かすかに微笑みました。

彼女の知人を介して、自宅で看取ったという知らせとお礼の言葉が届けられたのは、それからひと月半後。その後、病院へお礼に見えました。

「父は最後まで生きようとしていました。『リハビリをしたい』と言い出すぐらいでした。亡くなる前日もお粥をおいしそうに食べました。母は最期まで身の回りの世話をし、私は散髪をしてあげました。近くに住む兄も、しばらくうちに泊まってくれました。亡くなった日は、夜中の三時に、隣でやすんでいた母に、兄と私を呼ぶように言って、それから朝まで家族4人で過ごすことができました。ちょっと聞き取りにくかったけど、最期までいろんな話をしてくれました。

「お父様、最期までご自分で決めることができたんですね」

「家族みんなと居たかったんだと思います……。ここで松尾さんに話を聞いてもらって良かった。あの時相談できて、父との関わり方を変えることができました。父のおかげで、家族の仲が深まったと思います。今も父がそばにいてくれている感じがする……父と一緒に過ごせて、本当に良かったと思います」。

(終)

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