(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1102回

〝れんこん掘り〟の直吉さん

教えについて、根掘り葉掘り質問することから「れんこん掘り」と呼ばれた高井直吉さんのエピソード。

〝れんこん掘り〟の直吉さん

 
天理教教祖・中山みき様「おやさま」のいらっしゃるお屋敷に、足繁く通う高井直吉さんという青年がいました。直吉さんは、幼くして親を亡くし、これといった職もない上に、字も書けませんでした。
それだけに、教えをしっかり聞き分け、心に治めようとする熱心さは人一倍で、お屋敷の誰彼に対しても、納得いくまで根掘り葉掘りうるさいほど質問しました。その様子から、付いたあだ名は「れんこん掘り」。そんな直吉さんについて、次のような話が残されています。

明治十六年、直吉さんが二十代の頃のこと。
教祖からのご命で、お屋敷から南へおよそ十二キロの所へおたすけに出させていただき、病を患う人にお話を取り次ぎました。
すると先方は、「わしはな、未だかつて悪い事をした覚えはないのや」と食ってかかって来ました。

そこで直吉さんは、「私は、未だ、その事について、教祖に何も聞かせて頂いておりませんので、今直ぐ帰って、教祖にお伺いして参ります」と言って、十二キロの道のりを急いで帰り、教祖にお伺いしました。

すると教祖は、

「それはな、どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放って置くやろ。その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るのやで。その話をしておやり」(教祖伝逸話篇130「小さな埃は」)

と仰せられ、病の原因が、私たちが知らず知らずのうちに積んでしまう「心のほこり」であることをお教えくださいました。

このお話を承った直吉さんが、直ぐに先方の所へ戻り、「ただ今、こういうように聞かせて頂きました」と伝えたところ、「よく分かりました。悪い事言って済まなんだ」と先方はすっかり納得し、それからは熱心に信心するようになり、身の患いをすっきりご守護いただいたのです。

まさに、直吉さんの心の低さと真っ正直さがうかがえるエピソードです。
毎晩のように教祖から教えを聞かせていただき、信心仲間をつかまえてはしつこく質問を繰り返す「れんこん掘り」の直吉さんなら、先方からどんな言葉を投げかけられても、うまく切り返すことは出来たはずです。

しかし、直吉さんはそうはしませんでした。教祖から聞かされていないことは決して口にせず、分からないことがあれば、遠い道のりをもいとわず、すぐさま聞きに走る。

先方にすれば、教祖のお話の内容に得心したことはもちろんですが、直吉さんのそのような純粋で真剣な態度に接したことも、心変わりをする一つの要因になったのかもしれません。

直吉さんは後年、おたすけの心得について、
「わしの話さしてもらうのも、わしの考えは一つもない。教祖に聞かしてもろうた事、そのままや。我々人間が、どうして考えて話できるものか」
と語っています。

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