(天理教の時間)
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第1278回2024年4月19日配信

東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~

吉永先生
吉永 道子

文:吉永 道子

第1092回

高い心、低い心

思い上がった高い心、謙虚な低い心。このような心の高低は、私たちの人生に少なからず影響を及ぼす。

高い心、低い心

私たちの心使いは日々刻々と変化していくもので、心の調子が高くなったり、低くなったりを繰り返しています。そして、その心の高低(たかひく)が、実は私たちの人生に少なからず影響を及ぼしているのです。

昔よく食べ物屋さんで、品物の重さを測るのに使う棹秤(さおばかり)という道具がありましたが、それを用いて考えてみたいと思います。

この棹秤、目盛りのついた丸い棒の両端の一方に品物を置く受け皿があり、その反対側には分銅が吊り下げられていて、棹を水平にすることで品物の目方を測ります。

品物が高く上がった時には、分銅は下に下がり、品物が低く下がっている時には、分銅は高く上がる。これを品物を神様のご守護、分銅を私たちの心にたとえてみますと、その両者の関係が実によく分かります。つまり、心が低く下がっている時は、神様のご守護が高く上がってハッキリと目に見え、反対に心が高くなっている時には、ご守護は低くて全く見えない状態であると、このように思案できるのです。

 高い心とは、自分が正しいのだと思い上がり、人に頭を下げることのできない高ぶった心。漢字で書く通りの高圧的、居丈高、高飛車の類です。そのような心では、神様のご守護を充分にいただくことはできません。

しかし、神様の教えを心で静かに味わえるようになると、次第に欲の心が小さくなり、相手の身になって考えようという優しい心、低い心へと変わります。すると、神様のご守護がハッキリと見えるようになるわけです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、
「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」(教祖伝逸話篇123「人がめどか」)と、お諭しくだされています。

また、私たちの良くない心使いを「ほこり」にたとえて教えてくださる中で、思い上がって人を踏みつけにするような高い心を、「こうまん」のほこりとして戒められています。

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