(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1142回

えらい仕事

いつどんな用事を頼まれても、喜んで引き受けられるか。教祖は一人の先人を通して教えてくださった。

えらい仕事

 

皆さんは、いつどんな用事を頼まれても、喜んで引き受けることができますか? 自分の不得意なことを頼まれたり、気乗りのしないときだってあるでしょう。「こんなことしたくないなあ」「なぜ私がしないといけないの?」と思ったり、口に出してしまうこともあるかもしれませんね。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、そんな勇めないときの心の治め方を、鴻田忠三郎さんという一人の信仰者を通して教えてくださいました。

忠三郎さんは、若い頃から地域の農業の発展に貢献した人でした。籾種を改良したり、各地から実りの良い種を取り寄せて、村人に配布したりしました。明治十四年には、新潟県の農学校で指導者として勤めています。

そんな忠三郎さんにとっての気掛かりは、娘さんの目の病気でした。症状は悪化するばかりで、いよいよ失明だというところを、教祖からあざやかにおたすけいただき、忠三郎さんは熱心に信仰をし始めます。

当時は教えに対する官憲の取り締まりが厳しく、教祖や信者もたびたび警察署や監獄へ拘留されました。入信間もない忠三郎さんも、明治十七年三月、教祖と共に投獄されました。

その監獄の中で、忠三郎さんは、一生の宝となるお言葉を教祖からいただくことになります。それは掛の者に命じられ、便所掃除をしたときのことでした。

教祖の「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ」という問いかけに、忠三郎さんは「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます」と答えました。すると教祖は、

「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足不足でしては、天に届く理は不足になるのやで」と、優しくお話しくださいました。(教祖伝逸話篇 144「天に届く理」)

教祖と忠三郎さんの間で交わされたこの会話からは、投獄中の辛さを耐え忍ぶといった悲壮感はうかがえません。むしろ、ほのぼのとした温かさや自然な喜びが伝わってきます。

忠三郎さんは、このときに頂戴した教祖の温かいお言葉を生涯の宝として胸に刻み、信仰の道をまっすぐに歩んだのです。

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