第1374回2026年2月20日配信
慎み
陽気ぐらしのキーワードの一つ「慎み」について、数々のお言葉と教祖の逸話から考えていく。
慎み
天理教の掲げる陽気ぐらしのキーワードに、「感謝・慎み・たすけあい」の三つがあります。その中でも「慎み」はあまり馴染みのない表現かも知れませんが、その教理的根拠となるお言葉が「おふでさき」に記されています。
たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ (三 40・135)
人間の身体のみならず、この世界の一切のものは親神様からのかりものであり、すべての事物、現象の元である。ゆえに、絶対に無駄にせず、生かして使うことを教えられています。
教祖は監獄署に拘留されている時、差し入れられて、いらなくなった紙でコヨリを作り、それで一升瓶を入れる網袋をお作りになりました。それは実に丈夫に作られた袋でした。教祖は、監獄署からお帰りの際、お伴の仲田儀三郎さんに、その袋をお与えになり、
「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで」
と仰せになりました。(教祖伝逸話篇138「物は大切に」)
親神様からのどんなお与えも無駄にしない慎みの心を、教祖は身をもってお示し下されたのです。
また、お言葉にも、
「慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に」(M25・1・14)
あるいは、
「慎みの心が元である」(M28・5・19)
とあります。
現在、私たちは科学技術文明の恩恵に浴して、あまりに恵まれた生活をしていますが、そのような生活が、陽気ぐらしに結びついているとは決して言えない状況です。すべては「天のあたゑ」である、という大切な思いを無視した「我さえよくば、今さえよくば」という強欲のほこりが、知らないうちに積もり重なっているのではないでしょうか。
なにもかもごふよくつくしそのゆへハ
神のりいふくみへてくるぞや (二 43)
この世界は親神様の身体であって、あらゆる物はその一部です。どんなものも、私たち人間には所有権のない「かりもの」であると悟ることができれば、自然と報恩の気持ちが湧き上がり、大切にせずにはおれなくなるのではないでしょうか。
さらに言えば、物は人と人とをつなぐものであり、物を大切にすることは、人を大切にすることにもつながります。
「人間の反故を、作らんようにしておくれ」(教祖伝逸話篇121「葉っぱ一枚も」)
と、教祖は仰せ下さいました。まさに、物を大切にすることが人だすけにつながることをお示し下されたのです。
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