第1321回2025年2月14日配信
たんのう
教祖は、人生の逆境における心の持ち方について、「たんのう」という言葉で教えられている。
たんのう
人生はいつでも順風満帆というわけにはいきません。逆風で前に進むことができない時もあり、そんな時こそ、心の舵取りが重要になってきます。天理教では、逆風に難儀しなければならない時の心の治め方として、「たんのう」という舵の取り方を教えられています。
一般に堪能とは、「十分満足する」という意味で使われる言葉ですが、教えとしての「たんのう」は、この意味を背景に、さらに積極的な心の姿勢を表す教語として用いられています。
たんのうとは、たとえそれが自分にとって良いことであっても、不都合なことであっても、成ってくることのすべてを親神様の親心の現れと受け止め、明るく勇んで通る。そのような心のあり方であると教えられます。それは、辛抱や諦めといった消極的な姿勢ではありません。どんな中でも「結構、結構」と喜ぶところにまで徹した心の運び方です。
教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、次のような逸話が残されています。
慶応四年五月中旬のこと。毎日大雨が降り続き、あちこちで川が氾濫して田や家が流されるという事態になりました。熱心に信仰していた山中忠七さんも、持山が崩れ、田地が土砂に埋まってしまうという大きな被害を受けました。
かねてから忠七さんの信心をあざ笑っていた村人たちは、「あのざまを見よ。阿呆な奴や」と口々に罵りました。それを聞いた忠七さんはいたく残念に思い、さっそく教祖に伺うと、教祖は、
「さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで」と仰せられました。
忠七さんは、教祖のお言葉を聞いて、大自然の猛威をうらめしく思った自分の心に気づき、大難を小難にお連れ通り頂いた親神様のお計らいに、あらためて感謝することができたのです。(教祖伝逸話篇21「結構や、結構や」)
「たんのうのできた人」とは、どんな条件もなしに自然と喜び心が湧いてくるような人のことを指します。
「難儀さそ、不自由さそという親は無い。幾名何人ありても、救けたいとの一条である」(M21・6)との親心あふれるお言葉を噛み締め、いつでも喜びいっぱいの心で通りたいものです。
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