(天理教の時間)
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第1408回2026年10月16日配信

道しるべ

家族円満 相澤加奈子先生
相澤 加奈子

文:相澤 加奈子

第1268回

こうまんのほこり

思い上がった自惚れは、度が過ぎると鼻につく。神様の思召しに沿わない「こうまん」のほこりについて。

こうまんのほこり

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たち人間の間違った心遣い、神様の望まれる陽気ぐらしに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいました。

教祖は、ほこりの心遣いを掃除する手がかりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」の八つを教えられていますが、そのうちの「こうまん」のほこりについて、次のようにお聞かせいただいています。

「こうまんとは、思い上がってうぬぼれ、威張り、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけにするような心。また、目上に媚び、弱い物をいじめ、あるいは、頭の良いのを鼻にかけて、人を侮り、知ったかぶりし、人の欠点ばかり探す、これはこうまんのほこりであります。」

自惚れと自信は紙一重とも言えます。多少の自惚れは可愛い気があるとも言え、逆にあまりに自信のなさ過ぎる人は、歯がゆくもあり、気の毒にさえ感じられます。しかし、自惚れも度が過ぎると嫌味になり、鼻につきます。思い上がって出過ぎた言動をとっていれば、やがては人の反発を招くでしょう。

また、富や地位を持つことそれ自体が、こうまんのほこりになるわけではありませんが、それらを利用して人を見下すこと、人を人とも思わないような言動をとれば、もちろんほこりとなります。

そうすると、自分はそれほどお金も持っていないし地位もないから、こうまんのほこりとは無縁だ、と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。人の失敗を見て笑ったり、人の欠点を並べ立てて馬鹿にしたりすることは、大なり小なり誰でも覚えがあるのではないでしょうか。

こうまんのほこりについて思案すると、本当の強さや力とは一体どのようなものか、との考えに及びます。一般に力と言えばお金や権力、知力といったものが浮かびますが、結局のところ、神様のお働きを頂けるという「力」に勝るものはありません。

神様のお言葉に、「日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い」とあります。

どのような立場や境遇に置かれていても、日々誠の心を尽くすことが、神様のご守護を頂く一番の近道である。この真実に気づけば、思い上がったこうまんのほこりも、徐々に取り払われていくのではないでしょうか。

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