第1391回2026年6月19日配信
たすけ合い
「たすけ合い」とは至る所で聞くが、私たちは親神様を共通の親とする「きょうだい」だというのが肝心な点である。
たすけ合い
親神様は、人間が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしを見て神も共に楽しみたいと思召され、人間世界をお創り下さいました。人と人とがたすけ合うことこそ、陽気ぐらしの主要なテーマです。
ただ、お言葉に、
「さあ/\世界でさい互い扶けやいというであろう。内隔ての理を無きよう」(M24・8・5)
とあるように、たすけ合いはこの教えの専売特許ではありません。この「内隔ての理を無きよう」というお言葉、つまりお互いに隔てる心を持たないように、と諭されているところが大切な部分です。
人間は皆親神様によって創られ、その大いなる親心の中で生かされており、私たちお互いは、親神様を等しく親と仰ぐきょうだいであること。この真実を知れば、人を隔てる心を使うことなく、たすけ合いに向かうことが出来るのです。
実際のところ、人は何か不都合なことが起こった時、その重圧ゆえに責任を人に転嫁してしまうことが無きにしもあらずです。しかし、一つの問題というのは、人同士のやり取りの中で、複数の要因から生まれてくるもので、決して個人だけを責められるものではありません。
お言葉に、
「重荷を人に持たせぬよう、重荷めん/\持って扶け合い。この理聞き流しはならん」(M33・10・26)
また、
「重荷を人に持たすやない。重荷という、重荷は、めん/\が持ってするは、これ神の望みである」
とあります。(M33・10・26)
重い荷物を人に押し付けることなく、お互いが分け持って、わが事として対処するのが、真のたすけ合いの姿です。
世界一れつはきょうだいであるという真実に目覚め、重荷を分け合って苦しい中も乗り越えていくこと。そこから、親神様にお受け取り頂ける誠真実が現れてくるのです。
お言葉に、
「これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという」(おかきさげ)
とあります。
真の誠とは、何の見返りも求めない、捧げ尽くす行いです。誠の心を一人ひとりが実践することによって、この世界は陽気ぐらしへと近づいていくのです。
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