(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1347回

御退屈でございましょう

教祖はお居間にお一人でいるのが常であった。さぞ御退屈ではと、信者が色々と声を掛けた逸話が残されている。

御退屈でございましょう

 

教祖は、参拝人のいない時には、お居間にお一人でいるのが常でした。お寂しいのではないだろうか、と考える者は当然いて、そんな信者と教祖にまつわる色々な逸話が残っています。

 

井筒梅治郎さんは、いつも台の上にジッとお座りになっている教祖のご様子に、御退屈ではあろうまいかと、どこかへ御案内しようと思い、「さぞ御退屈でございましょう」と申し上げると、教祖は、

「ここへ、一寸顔をつけてごらん」

と仰せになり、御自分の片手を差し出されました。梅治郎さんがその袖に顔をつけると、見渡す限り一面の綺麗な牡丹の花盛りが見えました。ちょうど牡丹の花の季節のことであり、梅治郎さんは、教祖は、どこのことでも、自由自在にごらんになれるのだなあ、と恐れ入ったといいます。(教祖伝逸話篇76「牡丹の花盛り」)

 

また、ある時、教祖は、村上幸三郎さんに、

「幻を見せてやろう」

と仰せになり、お召しになっている赤衣の袖の内側が見えるようになされました。そこには、煙草畑に、煙草の葉が、緑の色も濃く生き生きと茂っている姿が見えました。そこで幸三郎さんがお屋敷から自分の村へ戻り、早速煙草畑へ行ったところ、煙草の葉は、教祖の袖の内側で見たのと全く同じように、生き生きと茂っていたのです。それを見て幸三郎さんは、安堵の思いと感謝の喜びに、思わずもひれ伏したのです。

というのも、幸三郎さんはおたすけに専念する余り、田畑の仕事は作男にまかせきりでした。まかされた作男は、精一杯煙草造りに励み、そのよく茂った様子を一度見てほしい、と言っていたのですが、幸三郎さんはおたすけに精進する余り一度も見に行く暇がなかったのです。

もちろん、おたすけの日々の中でも、いつも心の片隅に煙草畑のことが気にかかっていました。そういう中でおぢばへ帰らせて頂いた時のことで、幸三郎さんは、教祖の子供をおいたわり下さる親心に、いまさらのように深く感激したのでした。(教祖伝逸話篇97「煙草畑」)

 

さて、教祖は、ある時、梶本ひささんに、

 「一度船遊びしてみたいなあ。わしが船遊びしたら、二年でも三年でも、帰られぬやろうなあ」と仰せられました。海の外までもこの御教えが広まる日を、見抜き見通されてのお言葉と伝えられます。(教祖伝逸話篇168「船遊び」)

教祖がもし自由に船遊びをされたなら、そのご様子はどのようなものであったのでしょうか。想像は果てしなく広がります。教祖はお屋敷にいながらにして、広い世界の様子を、いつでも隈なくご覧になっておられたのです。

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