(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1344回

いんねんというは心の道

日々の心遣いはすぐに消えてしまうわけではなく、蓄積されていく。それが〝いんねん〟として表れてくる。

いんねんというは心の道

 

病気になったり、経済的な苦境に陥ったり、人生の苦難は様々にやってきます。そうなるには社会的条件や、人間の目から見た運不運という要素もあるでしょうが、結局のところ、自分の身に降りかかってきたことは、自分の責任で受け止めなければなりません。

たとえば、子供が道で石につまずいて転んでしまい、なかなか泣き止まない時、親はどうするでしょう。石ころを手にして、「石がこんな所にあるから転んだんだ、悪いのはこの石だ!」と、石を蹴飛ばしてやる。この場合、子供は納得して泣き止むかもしれませんが、大人の世界では通用しない論理です。

これでは、お金で苦労している時、自分のせいではない、社会が悪いんだ、と泣き言をこぼしているようなもので、大人であれば、現実を直視し、それに耐えなければなりません。そして、天理教のいんねんという教理は、まさしく大人の世界の話なのです。

「いんねんというは心の道」(M40・4・8)

このお言葉がいんねんのはっきりした定義の一つです。道とは長く続くものです。つまりいんねんとして表れてくるのは、昨日今日の短い間の心の話ではないというのが大事な点です。

「人を理不尽に怒鳴りつけたら急にお腹が痛くなった」というような、すぐに短絡的に現れることなら分かりやすいのですが、そんな単純なものではないということです。

意識の流れには連続した歴史があります。その人が生きてきた年月の分だけ心の歴史があり、それが「心の道」と言われるものです。心は日々、瞬間々々に使うもので、それはすぐに消えてしまうかのように思えますが、神様の目を通して「理」として蓄積され、その人の人格を形成していきます。

お言葉にも、

「世界にもどんないんねんもある。善きいんねんもあれば、悪いいんねんもある」(M28・7・22)

と、はっきりと示されています。

いんねんとは言わば、心の倉庫のようなもので、毎日愚痴や不足で通っている人は、それが貯まって巨大な蔵を作っているわけですから、そこから良質な出来事は生まれにくいでしょう。日々の小さな喜びの積み重ねが、やがては大きな天の与えとなって、陽気づくめの暮らしへとつながるのです。

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