第1312回2024年12月13日配信
心の成人
教祖は人の心を水にたとえ、いかにして心を澄まし成人するべきかを、「おふでさき」に示されている。
心の成人
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」で、
にち/\にすむしわかりしむねのうち
せゑぢんしたいみへてくるぞや (六 15)
と記されています。
教祖は、何より私たち人間に「心の成人」を求めておられます。そして、人の心を水にたとえて、いかにして心を澄まし、成人するべきかを「おふでさき」によって教えられます。
これからハ水にたとゑてはなしする
すむとにごりでさとりとるなり (三 7)
この水をはやくすまするもよふだて
すいのとすなにかけてすませよ (三 10)
このすいのどこにあるやとをもうなよ
むねとくちとがすなとすいのや (三 11)
濁り水を澄ますためには、砂と水嚢にかけてろ過をすることが必要です。教祖は、濁ってしまった心を澄ますために必要な道具は、どこにあると思うかと問われ、それは「胸」と「口」なのだと仰せられます。
胸は思案を重ね、悟りを得るための道具であり、口はその悟りを人に伝える道具です。自らの悟りを人に伝えるとはすなわち、おたすけの現場に身を置くことで、そうして人をたすける実践を積み重ねるうちに、心は次第に澄んでいくのです。
その意味で「せゑぢんしたいみへてくる」の成人とは、一般に宗教で言うところの「聖の人」、すなわち徳の高さや深い信仰を持つという意味での「聖人」と同じ意味にとれるかもしれません。
ただ、決定的に違うところがあります。普通、聖人になるためには、人里離れた場所で難行苦行を重ね、それによってある宗教的境地に到達することを目指します。しかし教祖は、人里離れた「山の仙人」ではなく、日常の中で教えを実践する「里の仙人」になることを促されました。
信仰実践の場は、あくまで普段の暮らしの中にあります。神様からの「かりもの」である胸と口とを縦横に使って、心の成人を遂げたいものです。
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