第1307回2024年11月8日配信
自分一人で
教祖のお話をうかがうのに、ニ、三人で連れ立って行くと、決して快くお話し下さらない。その真意とは。
自分一人で
この教えでは、この世界と人間を創造された親神様と私たちの関係を、親子の関係であると示されています。私たち一人ひとりは、親神様と直接に親子の関係でつながっているのであり、ゆえに、私たち人間は、皆がお互いに等しく親神様を「をや」と仰ぐ「一れつきょうだい」なのです。
しかし現実には、私たちは日常、夫婦、親子、兄弟姉妹というつながりの中で家族として暮らしています。教祖・中山みき様「おやさま」は、その家族の日常における心のあり方について、次のように仰せられています。
一やしきをなじくらしているうちに
神もほとけもあるとをもへよ (五 5)
このはなしみな一れつハしやんせよ
をなじ心わさらにあるまい (五 7)
をやこでもふう/\のなかもきよたいも
みなめへ/\に心ちがうで (五 8)
たとえ一つ屋根の下で暮らす夫婦、親子であれ、また血を分けた兄弟姉妹といえども、心は一人ひとり皆違うということです。
これについては、別のお言葉でも、
「さあ/\人間というは神の子供という。親子兄弟同んなじ中といえども、皆一名一人の心の理を以て生れて居る。何ぼどうしようこうしようと言うた処が、心の理がある。何ぼ親子兄弟でも」(M23・8・9)
と諭されています。
教祖をめぐって、こんな逸話が残されています。
教祖のお話を聞かせてもらうのに、「一つ、お話を聞かしてもらいに行こうやないか」などと、居合わせた人々がニ、三人連れを誘って行くと、教祖は、決して快くお話し下さらないのが常でした。
「真実に聞かしてもらう気なら、人を相手にせずに、自分一人で、本心から聞かしてもらいにおいで」と仰せられ、一人で伺うと、諄々とお話をお聞かせ下され、なおその上に「何んでも、分からんところがあれば、お尋ね」と仰せられ、いとも懇ろにお仕込み下されたのです。(教祖伝逸話篇116「自分一人で」)
この教祖の逸話がお示しくださるのは、心が皆違うのであれば、信仰も一名一人限りである、ということです。この信仰は、決して義理やお付き合いでするものではなく、お話の取り次ぎは一対一が基本であり、一人ひとりが自主的に道を求める姿勢こそ大切であるとお諭しくだされているのです。
何より有難いのは、真実に聞かせて頂こうとする者には、「何んでも、分からんことがあれば、お尋ね」と、こちらが得心するまでお話しくださる教祖の親心。こちらが真実の心で運べば、教祖は必ず応えてくださるのです。
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