第1305回2024年10月25日配信
神にもたれる
「神にもたれる」とは、決して受動的な態度を意味しない。むしろ、相当の勇気や覚悟が必要なことである。
神にもたれる
天理教教祖・中山みき様「おやさま」が教えられた「みかぐらうた」に、「なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする」とあります。
「神にもたれる」という表現は、その他のお言葉にもしばしば出てきますが、どのような意味を表しているのでしょう。
「もたれる」とは、何かに依存したり、頼ったりと、受動的な態度のようにも思えますが、ここでは決してそのようなことを意味しません。神様にもたれるには、目に見えないものに対する心の中の不安や疑念を払拭しなければならないのですから、相当の勇気が必要になります。
教祖は、直筆による「おふでさき」で、
これからハどんな事でも月日にハ
もたれつかねばならん事やで (十一 37)
これからハ月日ゆう事なに事も
そむかんよふに神にもたれよ (十三 68)
と記され、狭い人間思案を捨て、目先のことにとらわれず、神様に決して背くことなくもたれ切って通るようにとお諭しくださいます。
そして、「天の理に凭れてするなら、怖わき危なきは無い」(M23・6・29)と私たちを励ましてくださいます。
しかし、そのような思いに沿えない私たちに、神様は時として身体にしるしをお見せ下さいます。
めへ/\のみのうちよりもしやんして
心さだめて神にもたれよ (四 43)
みのうちのなやむ事をばしやんして
神にもたれる心しやんせ (五 10)
「かみにもたれてゆきまする」とは、人間の知恵や力で捉えられる範囲を超えて、一切を神様にお任せします、との決意表明と言えます。自己中心的な欲の心を離れ、神様にもたれ切る時、そこに真実のご守護の姿が表れるのです。
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