(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1292回

をびや許し、ほうその守り

出産時の母親と子供の死亡率が高かった江戸末期、「をびや許し」がどれほど不思議なたすけであったか。

をびや許し、ほうその守り

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」が教えられた「みかぐらうた」に、

 

  ひろいせかいのうちなれバ
  たすけるところがまゝあらう(五下り目 一ッ)

 

  ふしぎなたすけハこのところ
  おびやはうそのゆるしだす(五下り目 二ッ)

 

とあります。

広い世界の中であれば、人々をたすける所があちこちにあるだろう。しかし、不思議なたすけをするのはこの元なるぢばであり、ここから「をびや許し」や「ほうその守り」を出す。このように仰せられています。

安産のご守護である「をびや許し」、また当時大流行した感染症、疱瘡をたすけるための「ほうその守り」がどのようなものであり、それらがなぜ人々にとって「不思議なたすけ」であったのか。当時の状況を振り返ってみましょう。

江戸時代の平均寿命は、現在の半分以下の三十歳から四十歳ぐらいだったと言われています。もちろん、当時でも六十や七十を過ぎるまで長生きした人は大勢いましたが、それでも平均寿命が短かったのは、当時は出産直後の母親と子供が、今よりはるかに多くの割合で命を落としていたことが原因でした。

そんな命がけである出産に関して、当時は安産祈願として、妊婦が出産の前後に「腹帯」をしたり、柿はお腹を冷やすなどの理由で「毒忌み」として避けたり、頭に血が上らないように「高枕」をしたりと、様々な慣習がありました。

教祖はそうした状況の中で、「これが、をびや許しやで。これで、高枕もせず、腹帯もせんでよいで。それから、今は柿の時やでな、柿を食べてもだんないで」。だんないとは、大事ない、大したことはないという意味の方言ですが、をびや許しによって、そのような慣習に頼らなくとも安産できる道を教えられたのです。

また、当時は、たとえ無事に出産したとしても、その後の幼児死亡率が高く、その大きな原因となっていたのが疱瘡やはしかなどの感染症でした。

疱瘡にかかると、高熱とともに顔から全身へ赤い発疹ができます。ひどい場合は化膿した箇所から出血し、肺炎や腎炎などを引き起こして死に至ることもありました。

予防接種もまだ一般には広まっていない時代にあって、「ほうその守り」は、まさに不思議なたすけであったに違いなく、人々にとってどれほど有難いものであったことでしょう。

この「をびや許し」や「ほうその守り」を頂くに際して、何より肝心なのは親神様を信じ切ることです。こんな逸話が残されています。

清水ゆきさんという身ごもった婦人が、「をびや許し」を自ら願い出て頂いた時のこと。ゆきさんは「人間思案は一切要らぬ。親神様にもたれ安心して産ませて頂くよう」という教祖の仰せに反して、毒忌みなど昔からの習慣に従っていました。すると、出産後に高熱が出て三十日ほど寝込んでしまったのです。

そこで教祖にうかがうと、「疑いの心があったからや」とのお言葉があり、ゆきさんはこれに深く感銘し、心の底からお詫びをしました。

その後、教祖は産まれたばかりの赤子を預かってお世話をされ、ゆきさんも程なく全快しました。そして翌年、再び妊娠したゆきさんは「今度は決して疑いませぬ」と誓って、二度目の「をびや許し」を願い出ました。今度は教祖の仰せ通りにしよう、ひたすら親神様にもたれようと念じていたところ、不思議なほどの安産で、産後の患いもまったくありませんでした。(教祖伝第三章「みちすがら」)

当時のをびや許しは、教祖が直接お腹に息をかけられたり、撫でられたりするものでした。現在では、「をびやづとめ」に供えられた洗米を、「御供」として頂くことができます。

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