第1275回2024年3月29日配信
医者の手余り
教祖の病だすけによって広まったこの教えだが、医療とおたすけのあり方についてはどのように示されているのか。
医者の手余り
天理教教典には、教祖・中山みき様「おやさま」の行われた人だすけについて、次のように記されています。
「やがて、をびや許しによって示された珍しいたすけが、道あけとなり、教祖を生神様として慕い寄る者が、近郷一帯にあらわれた。教祖は、これらの人々に、病の元は心からと教え、不思議なたすけを示されたことは数知れぬほどで、不治といわれた難病も、教祖の前には決して不治ではなかった。」
まだ医療体制の整っていない江戸末期、教祖の不思議なたすけによって教えは徐々に広まっていきましたが、「医療」と「おたすけ」に関する次のようなお言葉があります。
「医者の手余りを救けるが台と言う。(中略)医者の手余りと言えば、捨てもの同様である。それを救けるが教の台と言う」(M26・10・17)
ここで諭されているのは、天理教における「おたすけ」は、決して医療と対立するものではなく、医療を持ってしてもたすけることのできない人々に手を差し伸べるのが、この教えを信じる者の役目であり、この道の信仰の土台である、ということです。
親神様は、この世界と人間をお造りくだされてこの方、心を入れ替えるための真実の道を教えるべく、私たち人間に知恵を仕込み、学問を与え、また病気を治すための医療の道をもお与えになったのです。
にんけんにやまいとゆうてないけれど
このよはじまりしりたものなし (九 10)
この事をしらしたいからたん/\と
しゆりやこゑにいしやくすりを (九 11)
この世界の元初まりの真実を知ったなら、病気と言われるものが、必ずしも病気ではなく、神の切なる親心だということが分かってくる。それを知らしたいがゆえに、色々と段階を踏んで、身体の修理や肥の役割として、医者や薬というものを与えてきた。このように仰せられています。
医療を受けることで、私たちは体内における親神様のご守護をより実感させて頂くことができます。その一方、医療はあくまで病気を治すことが目的であり、いかに生きるべきかを示すものではありません。
この信仰においては、病気の回復はあくまで一つの結果であり、その病気を通して親神様の深い思わくを悟り、心の向きを変えることに主眼が置かれています。「病の元は心から」とのお言葉通り、最終的な目標は、陽気ぐらしに近づくこと。心を立て直し、生き方そのものを変えていくことなのです。
HOME

