第1273回2024年3月15日配信
おいしいと言うて
明治の初め、お屋敷近くの雑魚取りの情景。そんな中にも、教祖の命あるものへの慈しみの眼差しが。
おいしいと言うて
天理教教祖・中山みき様。私たちは「おやさま」とお慕いしているのですが、教祖の住まわれるお屋敷は、奈良盆地の東の山すそにありました。お屋敷の周りには、布留川という、かつては万葉集にも詠まれた川が、幾筋にも分かれ流れていました。
川は生活の源、豊富な食料を供給してくれます。明治の初め頃は、夏になると雑魚取りをしに、子どもどころか大人までもがザブザブと川に入るのが日常だったようで、そんな光景が教祖をめぐる逸話として残されています。
川にはドジョウ、モロコや小ブナなどの小魚、川エビもいました。当時の貴重なたんぱく源です。お屋敷でつとめている者たちが、それらをすくい上げ、こってり煮込んでうま煮にして、教祖のお目にかけます。
すると教祖は、その出来上がったものを取り出され、子どもに言って聞かせるように、
「皆んなに、おいしいと言うて食べてもろうて、今度は出世しておいでや」
と仰せられ、また側にいる者たちには、
「皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ」
とお話しになりました。(教祖伝逸話篇132「おいしいというて」)
教祖のお言葉には、命あるものへの慈しみがこもっています。生き物の命を頂くことへの感謝の気持ちを忘れないように。そう私たちにお諭しくだされています。そして、その感謝は生き物に対するだけにとどまらず、それらの命を育む火・水・風をはじめとする天の恵みにも及びます。
また、生き物に対する「今度は出世しておいでや」とのお言葉には、すべての生きとし生けるものは親神様によって生み出されたのであり、人間も含めたそれらは皆、命の源を共にするきょうだいである。そのような意味が含まれているのではないでしょうか。
「この世は神の身体である」と教えられるように、人間を含むすべての生き物は、親神様の身体の一部であり、お互いはつながり合って生きています。親神様のお働きによって育てて頂いた食材を粗末にせず、好き嫌いなく、慎んで頂くことが大切でしょう。そして、「おいしい、おいしい」と笑顔で食べられる喜びを、周囲の人と共に分かち合いたいものです。
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