(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1236回

皆んな勇ましてこそ

「神が連れて通る陽気と、めんめん勝手の陽気とある」と教えられる。神様が望まれる「真の陽気」とは。

皆んな勇ましてこそ

 

神様のお言葉に、

 

「神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん」(「おさしづ」M30・12・11)

 

とあります。

人間はみな、人と人とのつながりの中で生きている以上、めんめん勝手の陽気が通らないことは自明の理です。このように、二通りの陽気が対照的に述べられている後で、お言葉はこう続きます。

 

「陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(「おさしづ」M30・12・11)

 

銘々が勝手に楽しんで、その結果、他の人たちを苦しませたのでは、本当の陽気とは言えないと、分かりやすく教えられています。

それでは本当の陽気、神が連れて通る陽気とは、どのようなものか。そのことを、「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という」と簡潔に教えられていますが、これは二つの点で、私たちにとって大変難しい課題であると思います。

その一つは、「皆んな勇んでこそ」ではなく、「勇ましてこそ」と仰せられている点です。勇んで通ることは、自分自身の問題としても難しいのですが、相手を勇ませる働きかけはなお一層大変です。つまりこのお言葉は、自分が勇むだけではなく、相手を勇ませる働きかけを通して、はじめて真の陽気が味わえるということを教えられているのです。

そして二つ目は、人を喜ばせる、楽しませると表現されずに「勇ませる」と仰せられている点です。

一般に、「勇む」「勇気」という言葉には、「にもかかわらず」という意味が含まれています。自分の身に降りかかる困難な状況にもかかわらず、敢えてその苦難に立ち向かっていく態度です。

順調な人生を送っている間は、ことさら勇気を必要としないかも知れません。しかし、苦難が立ちはだかってきた時には、それを乗り越える勇気が必要になります。私たちがまず勇ませなければならない相手は、このような苦難にさいなまれている人たちなのです。

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