第1225回2023年4月14日配信
老い
高齢社会における私たちの心の置き所について、教祖のお言葉から考えていく。
老い
「老いる」ということの意味合いは、時代や文化によって大きく異なります。現在日本では、六十五歳以上の高齢者の割合が29パーセントを超え、大きな社会問題となっていますが、これは社会が高度に発展し、豊かになった証拠でもあります。世界には平均寿命が五十歳に満たない地域もあり、そこでは老いることは問題にされません。高齢化は、特定の年齢層に限った問題ではなく、社会全体の問題であるとの認識で、すべての世代で支え合う必要があるのです。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」に、
しんぢつの心しだいのこのたすけ
やますしなずによハりなきよふ(三 99)
このたすけ百十五才ぢよみよと
さだめつけたい神の一ぢよ(三 100)
と記されています。
人間の心次第では百十五才まで生かしてやりたい、とのお言葉は現在実現していませんが、これは、人々の心の立て替えができないうちから実現すれば、この世界がかえって混乱することを見越した神様のお計らいとも受け取れます。まずは、私たちが陽気ぐらしへ向けて心を入れ替えることが先決なのです。
天理教では、「死」は「出直し」であると教えられ、それは「古い着物を脱いで、新しい着物と着かえるようなもの」であると示されています。
教祖が教えを説かれた明治初年頃の平均寿命は、四十歳前後であったとされています。当時の人々からすれば、「老いる」ことは喜ばしいことだったのです。そのため、着物が古くなったこと、「老い」自体を問題とするようなお言葉は見られません。
「おふでさき」に、
しやんせよハかいとしよりよハきでも
心しだいにいかなぢうよふ(四 132)
とあるように、神様のご守護には年齢による差はないのです。
「年取りた者を親と見立てるよう。この理を聞き取ってくれ」
「親というものはどれだけ鈍な者でも、親がありて子や。子は何ぼ賢うても親を立てるは一つの理や」(「おさしづ」M22・10・14)
とのお言葉から、高齢社会における私たちの心のあり方が思案できるのではないでしょうか。
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