(天理教の時間)
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第1275回2024年3月29日配信

年末に続いた子供の風邪

岡先生(掲載)
岡 定紀

文:岡 定紀

第1206回

人生の分岐点

先人の信仰者たちは、教祖との出会いによって生き方を大きく変えた。一つの逸話を紹介する。

人生の分岐点

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。

文久元年のこと。西田コトさんは歯が激しく痛むので、稲荷さんへ詣ろうと出かけたところ、道で知り合いにバッタリ会い、「庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆、救けて下さる」と聞かされ、早速教祖のお屋敷に参らせて頂きました。

教祖は、「よう帰って来たな。待っていたで」と仰せられ、さらに、「一寸身上に知らせた」と神様のお話をお聞かせ下さいました。すると家へ帰る頃には、歯痛はすっきり治まっていました。

ところが、四、五日経つと、今度は目が激しく疼いてきます。そこで再びお屋敷へ参り教祖に伺うと、「身上に知らせたのやで」と仰せくださり、神様のお話を承ると、帰る頃には目の痛みはすっかり消えていました。

それからというもの、コトさんはお屋敷の掃除に熱心に通うようになり、信心を深めていきました。(教祖伝逸話篇 8「一寸身上に」)

教祖の数々の逸話が収録された『教祖伝逸話篇』に触れると、先人の信仰者たちにとっては、教祖との出会いが極めて大きな運命の転換点であったことが感じられます。多くの人々が、教祖との運命的な出会いをきっかけに、「たすかりたい」と願う人生から、「人さまにたすかってもらいたい」と自ら行動する人生へと、生き方を大きく変えていきました。

とは言え、たとえ教祖から「よう帰って来たな。待っていたで」と声を掛けられても、そのお言葉を主体的に受け止め、運命を変える意思を自ら持たなくては、人生の道筋は変わりません。

人生の分岐点に差し掛かった時、次の一歩を踏み出す方向を決めるのは自分自身です。この逸話に登場する西田コトさんの信仰は、自ら進んでお屋敷の掃除に通うことから始まりました。運命を転換する道は、劇的で特別な営みよりは、むしろ今の自分にできる着実な一歩を踏み出すことから始まるのではないでしょうか

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