(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1144回

栗の節句

教祖は時に、自然や農事、季節の食べ物などに例えてお諭しくだされた。栗に例えられたお言葉をひもとく。

栗の節句

 

九月九日は、古来「重陽の節句」とも言われています。中国では、奇数は縁起の良い「陽」の数とされていることから、最も大きな陽の数である九が重なるこの日を、節句の一つとしてきました。日本でもこの時期はちょうど田畑の収穫期を迎えることから、農村や庶民の間では「栗の節句」とも呼ばれ、栗ご飯などでお祝いをしたそうです。

 天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、時に自然や農事、また季節にちなんだ食べ物など、私たちの生活に身近な視点で教えを説いてくださいましたが、栗にたとえられたこのようなお言葉が残っています。

「九月九日は、栗の節句と言うているが、栗の節句とは、苦がなくなるということである。栗はイガの剛(こわ)いものである。そのイガをとれば、中に皮があり、又、渋がある。その皮なり渋をとれば、まことに味のよい実が出て来るで。人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで」(教祖伝逸話篇77「栗の節句」)

栗の硬くてチクチクする鋭いイガは、動物や虫からおいしい実を守るためのものですが、イガを取り除けば厚くて硬い鬼皮があらわれ、さらにその下には薄い渋皮があるといった具合に、栗は何重にも自分をガードしています。

私たちの心も、時に鋭いイガによって頑なにガードをしている場合がありますね。それが、人とのコミュニケーションの妨げになるのです。

私たちは、一生の間に実に多くの人との出会いを経験しますが、中には性に合わない、どちらかと言えば苦手な人とも付き合わなければならないことがあります。その必要以上の苦手意識が鋭いイガとなって表れると、相手も警戒心を抱くことになり、これではお互いの距離を近づけることができません。

教祖は、教えを聞き、神様の思いに沿おうと努める中に、心のイガや渋味もとれ、まろやかな、味のある心になってくるのだと教えられます。

硬い心の殻を剥き、相手の心に近づくことができるよう、努めたいものですね。

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