(ラジオ天理教の時間)
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第1123回2021年4月24日・25日放送

頑張れ、私たち!

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芦田 京子

文:芦田 京子

第1120回

朝活のススメ

急きょ、横浜の友人宅に泊めてもらうことに。そこで友人の「朝活」に付き合い、その大切さを実感した。

朝活のススメ

岐阜県在住  吉福 多恵子

 

昨年、急な予定変更で、東京周辺のどこかで一泊することになりました。ホテルを探しても良かったのですが、横浜に住む友人に連絡を入れてみました。

「もしもし、多恵子ですが、あさっての夜、息子と二人泊めてもらえませんか?」
あまりに迫った日にちでもあるし、相手の予定もありますから断られて当然と思っていたのですが、「いいわよ。狭くて申し訳ないけど。その代わり、朝は毎日5時半に起きて2時間ぐらいウォーキングしてるから、多恵子さんも付き合ってね」

あっけない快諾に拍子抜けしましたが、2時間のウォーキングというフレーズに「ええ~っ」と心が叫んでいました。私もわが家の近くを流れる長良川の堤防道路を夫とウォーキングするのですが、せいぜい1時間が限度です。
「ついていけるかしら」とちょっと心配になりながら、あっという間にその日を迎えました。

ナビを頼りに車で友人宅に着いたのは、夕方4時を回った頃でした。挨拶もそこそこに、「じゃあ出掛けるわよ」。聞けば、目指すはあの横浜中華街。一度は行ってみたいなと思っていた場所ですが、まさかこんな形で実現するとは。その日は、彼女と近くに住んでおられる彼女のお姉さんと4人で楽しい時間を過ごし、大満足の夜となりました。

さて、いよいよ朝を迎えました。
駐輪場に置かれた自転車は3台。徒歩圏内に住む娘さんの所からも借りて準備したと聞きました。電話を掛けてからの短い時間に、こんなに細やかに気を配ってくれるなんて、友人の温かいおもてなしに感激しました。

まだ眠りから覚めない横浜の街を自転車で駆け抜けるのは、気分爽快です。走り出してすぐに、横浜スタジアムが見えてきました。そこから港の方に向かうと、日本大通りです。

ここで、待ち合わせていた友人のお姉さんと合流、自転車を止め、歩いて「象の鼻パーク」を目指します。何気ない建物がおしゃれだったり、重厚感にあふれていたり。友人の案内がとても上手で、首を右へ振ったり左へ振ったりしながら、とにかく楽しめました。

赤レンガ倉庫を見ながら、新しくできたばかりの商業施設「ハンマーヘッド」に向かう途中に、旧横浜港駅のプラットホーム跡がありました。古き明治の横浜港の賑わいを見てきたプラットホームなのだと思うと、感慨深い気持ちになりました。

友人とお姉さんは、いつもここにあるベンチに座って天理教のお祈りである「朝のおつとめ」をするそうです。お姉さんが、「ちょっと来て」と小声で私を呼びました。ついて行くと、少し離れたベンチにホームレスと思しきおばあさんが、まるで二つ折れになるように身体を折り曲げてうずくまっていました。身じろぎもせず、いつ見てもそのまま、声を掛けても応えないそうです。

それでも友人のお姉さんは、気になっていつもそばを通るのだといいます。そして、朝づとめをつとめる時に、「あのおばあさんを今日もよろしくお願いします」と、心の中で呟いているとのことでした。普通なら、ちょっと距離を置いて少しでも関わりたくないと思ってしまうところなのに、お姉さんの話を聞いて、私ももっと人に寄り添う心、温かい心を目指したいと思ったことでした。

自転車のある場所まで戻り、近くのお店でおにぎりとサンドイッチをテイクアウトして、友人が準備してくれた生野菜と一緒に外のベンチで朝食となりました。さすが横浜、優雅な気分であっという間の2時間でした。

皆さんは「朝活」という言葉を聞いたことがありますか? 朝活動を略した言葉だそうですが、調べてみると「朝起きてから仕事や学校が始まるまでの間に、勉強や趣味などに勤しむこと」とありました。

友人とお姉さんが、どのようなきっかけから毎朝のウォーキングを始めたのかは聞きそびれましたが、お二人がウォーキングの途中におつとめをつとめて、人のたすかりを祈ることから一日を始めておられることが本当に素敵だと思いました。

考えてみれば、私たちの教会生活でも、柱となる朝づとめの前に、神殿のお掃除をしたり、神様にお供えする神饌物を準備したり、玄関を掃き清めたりします。神様に今日一日お働きいただけるように願いながら、また、教会に参られる人々が気持ちよくご参拝いただけるようにと願いながら身体を動かすことも、立派な朝活ではないかと思います。

天理教の教祖「おやさま」は、「朝起き、正直、働き」の大切さをお諭しくださいました。

一日の始まりの朝、時間に追われて過ごすより、ちょっとだけ早起きして、「レッツ、朝活!」清々しい充実感に浸れるのは、神様からのご褒美ですね。

 


 

こうまんのほこり

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たち人間の間違った心遣い、神様の思召しに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいました。

教祖は、ほこりの心遣いを掃除する手がかりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」の八つを教えられていますが、そのうちの「こうまん」のほこりについて、次のようにお聞かせいただいています。

「こうまんとは、思い上がってうぬぼれ、威張り、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけにするような心。また、目上に媚び、弱い者をいじめ、あるいは、頭の良いのを鼻にかけて、人を侮り、知ったかぶりし、人の欠点ばかり探す、これはこうまんのほこりであります」。

この「こうまん」のほこりを考えるうえで、二つの逸話をご紹介します。

ある年の暮れ、一人の信者が立派な重箱の中に、出来栄えの良い小餅を入れて持ってきました。さっそく教祖にお目にかけると、教祖はいつになく、「ああ、そうかえ」と仰せられただけで、一向に関心を示されません。

それから二、三日して、また別の信者がやってきました。手には粗末な風呂敷包みを抱えています。中には、竹の皮に、ほんの少しばかりの餡餅が入っていました。再び教祖にお目にかけると、教祖は、「直ぐに、親神様にお供えしておくれ」と、今度は非常にご満足の様子でした。

これはあとになって分かったことですが、先の人は恵まれた家庭で、お正月のためについたお餅が余ったので届けたに過ぎず、後の人は貧しいながらも、やっとのことでお餅をつくことができた嬉しさから、「これも、親神様のお蔭だ。何は措いてもお初を」と、感謝の心いっぱいに運んだのです。教祖は、それぞれの人の心が、ちゃんとお分かりになっていたのでした。(教祖伝逸話篇7「真心の御供」)

さて、明治十九年の夏のこと。ハタチの青年、松村吉太郎(まつむら・きちたろう)さんは、大阪の村役場へつとめながら、教祖のいらっしゃるお屋敷へ熱心に帰らせていただいていました。

ところが、若くて学問の素養もある吉太郎さんには、お屋敷へ寄り集う人々の教養のなさや、粗野な振る舞いなどが奇異に映り、軽侮の念すら抱いていました。

ある日、吉太郎さんが教祖にお目通りすると、教祖は、

「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや」と仰せになりました。

このお言葉を承った吉太郎さんは、心の底からこうまんのさんげをしました。そして生涯をかけ、信仰の道をまっすぐに歩んだのです。(教祖伝逸話篇190「この道は」)

この二つの逸話から、人は裕福になったり、学問を修めるにつれて、無意識のうちにも心を高くしてしまうことがある、ということが分かります。何事も神様のご守護があればこそという、感謝と慎みの心を常に確かめていくことが大切ではないでしょうか。

(終)

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