(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1109回

共感力

人が他人の痛みをそっくり感じることは不可能である。必要なのは想像力、そしてその元になる「共感する力」。

共感力

人が人を傷つける凄惨な事件は絶えることがありませんが、事件にまでは至らなくても、私たちの身の周りで、他者を傷つける行為を見聞きすることは決して少なくありません。
たとえば、今やインターネットを使っての誹謗中傷は大きな社会問題となっています。
顔が見えない匿名性を隠れ蓑に、その人の人格を否定するような罵詈雑言をSNS上に書き込む。言われた被害者は心を深く傷つけ、最悪、命を絶ってしまうケースさえあります。

人が人を平気で傷つけられるということは、そもそも、人が他人の痛みをそっくり感じることが不可能であるということに起因するのかもしれません。たとえ愛する人が傷つき苦しんでいても、その痛みを直接体験することはできず、想像に任せるしかないのです。それは我が身を相手の立場に置いて、ようやくその一端を感じることが可能になるのであって、それには想像力の元になる「共感」する力が必要となるのです。

しかし今日、その人間関係の根底にあるべき共感力が失われつつあります。
その原因の一つとして、ある作家は「日本人が近代に入って泣かなくなった」ことを挙げ、「泣くとか、悲しむとか、涙を流すといったことは浪花節的、歌謡曲的、演歌的、義理人情の世界として排除され、笑いとユーモアと明るさがプラス思考として正面に押し出され」、「湿式社会から乾式社会への一方的な転換」によって、人の痛みに共感する力が失われたと語っています。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」に、

 このみちハどふゆう事にをもうかな
 よろづたがいにたすけばかりを (十三 37)

 せかいぢうたがいにたすけするならば
 月日も心みなひきうける (十三 38)

と記されています。

人が何らかの利他的な行動を起こすのは、人の痛みに対する共感が出発点となります。
人々が互いにたすけ合う陽気ぐらしを目指す上で、「共感力」という心の働きは欠かせないものと言えるのではないでしょうか。

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