第1106回2020年12月26日・27日放送
教えは人生の道しるべ
神様の教えは、人生を歩む上での道しるべとなる。教祖の逸話に導かれた二人のエピソードを。
教えは人生の道しるべ
神様の教えは、私たちが人生を歩む上での、確かな道筋を示してくださいます。
会社同士での大掛かりな取引を控えていたAさん。職場の先輩から、「厳しい姿勢で交渉するというより、お互いのより良い着地点を見つけるという気持ちで臨むほうがうまくいくよ」とアドバイスを受けました。
それまでAさんは、できる限り自分たちに有利な契約を交わすことが最善だと思っていたのですが、先輩の言葉を聞いてスッと肩の力が抜けたそうです。
その言葉通り、先方に協力する気持ちで商談に臨むと、自社の利益にはそれほど結びつかなかったものの、大きな信頼関係を築くことができたのです。さらに後日、先方から有利な案件を次々と提供してもらい、そのおかげで会社の利益も上がり、Aさんの社内での評価も一気に高まったのでした。
その時、Aさんの脳裏に浮かんだのは、天理教教祖・中山みき様「おやさま」の
「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで」(教祖伝逸話篇 165「高う買うて」)
とのお言葉でした。
交渉に臨む際は、先方の値打ちを高く買い、自らの立場を低くする。そうして相手に喜んでもらうことが、共に喜び、共に栄える姿として表れるということをAさんは肌で実感したのです。
また、会社でやり甲斐のある仕事が回ってこずに、不足の思いを募らせていたBさん。上司との関係もうまくいかず、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな中、Bさんを目覚めさせたのは、教祖の次のような逸話でした。
明治十七年、教祖は奈良監獄署に拘留されました。その時、教祖と一緒に拘留された鴻田忠三郎さんが便所掃除を命じられました。
忠三郎さんが掃除を終えると教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ」と尋ねられました。忠三郎さんが、「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます」と申し上げると、教祖は、
「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで」(教祖殿逸話篇 144「天に届く理」)
とお諭しくだされたのです。
この逸話を読んで、目の前がすっきり晴れたというBさん。
「どんな仕事も神様から与えられた御用だと思い、自分なりに工夫して積極的に取り組もう」と、心の向きを変えることができたのです。