(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1089回

母恋うる詩

親からの深い愛情を受けずに育った里子たち。それでも、「お母さんが嫌い」という子に出会ったことは一度もない。

母恋うる詩

岐阜県在住  吉福 多恵子

毎年5月の第2日曜日は、母の日。今年の母の日も、SNSはカーネーションや紫陽花の鉢植え、きれいにラッピングされたプレゼントの数々や、幸せそうな家族の写真などであふれていました。
幼い字で書かれた辿々しいお手紙には、ほのぼのとした気持ちになりました。子供からお母さんへ感謝を込めてのプレゼント。素敵な習慣ですね。

我が家は里親として、親と一緒に暮らせない子供たちをお預かりして育てています。今年で18年目になりました。これまでに、我が家を居場所として育っていった子供たちは11人います。23日や1週間ぐらいの滞在だった子も含めると、20人ぐらいになるでしょうか。

私はこの子たちに、たくさんのことを学ばせてもらいました。その中の一つが、「お母さんを嫌いな子は一人もいない」という気づきでした。これまでの思い出を集めながら、お話ししたいと思います。

小学二年生で我が家に来たA子ちゃん。確か5月の初め頃でした。
まもなく学校へ通い始めると、「もうすぐ母の日だから、お母さんに手紙を書きましょう」という授業がありました。クラスに里子がいると分かっているのに、今なら少し問題になりそうなものですが、その頃はあまりやかましく言われることもなかったのです。

A子ちゃんは一生懸命書きました。
「お母さん、元気ですか。会いたいです。私を産んでくれてありがとう」。大きな字が躍っていました。

B子ちゃん。この子は小学四年生でした。母親のパートナーから酷い虐待を受けていたと聞きました。教科書もランドセルも捨てられていたので、学校で必要なものを準備してくださいました。ところが、どうしたことか社会の副読本が抜けていたのです。気がついた時は、副読本の授業が始まってすでに3カ月が経っていました。

「今までどうしてたの?」と聞くと、「忘れたと言って、友達に見せてもらっていた」と言います。
「教えてくれたら、もっと早くに準備できたよ。どうして教えてくれなかったの」と聞いても、貝のように口を閉ざして答えようとしません。

B子ちゃんの寝顔を見ながら考えました。
あぁそうか。「お母さんは、これも捨ててしまったのね」と言われたくないんだ。子供ながらに精一杯お母さんを守ろうとした「への字口」だったのかと思うと、涙がこぼれました。

A子ちゃんもB子ちゃんも、決して愛情いっぱいに育てられたわけではありません。運動会や遠足の日でもお母さんは起きてこず、お弁当を作ってはくれませんでした。季節に合った服装を教えてもらったこともなかったので、真冬にノースリーブで登校したこともあり、先生たちをびっくりさせました。空腹に耐えきれず、財布からお金を盗んだのを見つかり、ひと晩犬小屋に寝かされた日もありました。

「何という親だ」と誰もが言うでしょう。
しかし、そんなお母さんが初めて面会に来てくれた日、彼女たちは会えた喜びに涙し、別れる寂しさに涙が止まらないのでした。

切なく、いじらしい彼女たちを前に、新米里親である私は、「子供たちの前で、絶対にお母さんの悪口は言わない」と、頭では理解していたことを、改めて強く心に誓ったことでした。

月日は巡り、最近は委託される子供のほとんどが、中学生、高校生です。母親に対する辛辣な言葉を出す子もいて、想像を超える辛い日々を過ごしてきたのだろうと胸が痛みます。

やがて母親となるであろうこの子たちには、胸に抱く我が子を心から可愛いと思って育てて欲しい。虐待の連鎖を止めるのはあなたたちしかいないんだよと、折に触れ話しています。

先日、ある講演会で素晴らしいお話を聞きました。講師の先生は、娘さんに重度の障害があると分かり、どうしていいか分からなかった時に、恩師からこのような言葉を掛けられたといいます。

「この子には、親孝行をさせてあげないといけないよ。親孝行とは、子供の成長を親が喜ぶこと。『この子は障害があって何もできない』と思うのではなく、『私はこの子のおかげで親にしてもらったんだ』と喜ぶこと。どんな小さな成長でも、親が喜べば、この子は親孝行をしたことになる。親孝行な子に未来が開けないわけがない」。

そうなのですね。先生のお話を聞いて、我が家の里子たちを思いました。この子たちにも親孝行をさせてあげたい。大きく未来を開いてあげたい。そう強く思いました。

実の親との関係がどうであれ、里親である私が、毎日の小さな変化を受け止め、心の声を聞いてあげること。変化が見えない時は、次の成長への準備期間なのだと大らかに構え、じっと待とう。
何より、「あなたを認めているよ」と笑顔を向けてあげよう。ついつい、悪いことにしか目が向かない私自身が変わらなければと感じました。

そういえば、もうすぐ母を偲んで教会で年祭をつとめます。結婚して43年、少しだけ親孝行させてもらえたように思っていましたが、それは母がいつも喜んでくれていたから。お母さん、あなたのおかげだったのですね。
心からの「ありがとう」を込めて、年祭の日を迎えます。

 


 
命知と天理
 -青年実業家・松下幸之助は何を見たのか-

昭和7年3月、天理を初めて訪れた松下電器創業者の松下幸之助氏は、「ひのきしん」という天理教独自の奉仕活動を目撃しました。この時期は「昭和普請」の名で知られる、天理教史に残る大規模な建設ラッシュの最中にあり、この月の「ひのきしん」の参加者だけでも、10万人もの信者が往来しました。

教会本部の境内地に到着した幸之助氏は、そびえ立つ巨大な神殿と、神苑周辺の基礎工事の様子を目にしました。すると、その広い境内地の北の方角から、もっこと呼ばれる、荒縄で編んだ網を木の棒に吊り下げた道具を肩に掛け、二人一組で土を運ぶ大勢の信者が次々とやってきます。

幸之助氏は、「何だろう?」と目を凝らしたことでしょう。案内役の知人は「あれは土持ちひのきしんですよ」と返答したはずです。しかし、「土持ち」は理解できても、「ひのきしん」とは何のことだろうと、幸之助氏は思ったに違いありません。

一般に寄進とは、神社や寺院に物品や金銭を寄付することですが、これに対して「ひのきしん」とは、働きを寄進することを言います。その行いは単なる奉仕ではなく、神によって生かされていることへの感謝を出発点としています。こうしたひのきしんの中でも、もっこに土を入れて運ぶ作業を特に「土持ちひのきしん」と呼んでいます。

土持ちひのきしんにいそいそと励む、おびただしい数の信者の姿に感銘を受けたと、幸之助氏は後年まで語っています。通常「人が働く」とは、生活のためであり、代価をもらって当然です。ところが、庶民の生活が決して楽ではなかった当時、これほど多くの人々が、実に楽しそうに無償で働いているとはどういうことか?

天理教では「寄進者」の名前は、神殿や境内のどこにも公表・公示されることはありません。にもかかわらず、信者たちは喜び勇んで奉仕し、意気揚々と各地へ帰っていきました。

名前を残したいのではない。各自の行いもその心中も、「見抜き見通し」の神様はすべてご存じなのだ。生かされていることへのささやかな恩返しができるだけで有り難い―。そのような信仰実践の場を、幸之助氏はまざまざと目撃したのです。

幸之助氏は、「ひのきしん」とは、生活のための行為ではないからこそ、明るい心で勇んで動けるのだと理解したと思われます。だからこそ、「使命観を持つこと」、私的利益を超越して、公的利益のために働くことの重要性を、天理訪問を通じて知ったと公言したのでしょう。

本部の広い神苑で、ひのきしんという聖なる「働き」に初めてふれた幸之助氏は、知人に促されて、本殿に昇殿しました。

「本殿へ参拝した。その建物の規模の壮大さといい、用材の結構さといい、普請の立派さ、ことに掃除の行き届いて塵一つ落ちていないありさまなどには自然と頭が下がるのを覚えたのである。また信者の人々も神殿の歩行には、他宗教の本山などには見られないような静粛さと敬虔さがこもっており、その神殿の前に額ずく様には一見して熱心な信者とおもわしめるものがある。自分もこの雰囲気につられて、思わずもうやうやしい念にうたれて礼拝をしたのである」

(終)

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