(天理教の時間)
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第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1267回

梅を見に行こう!

「梅を見たい」という末期がんの患者さんの呟き。最後になるであろう花見の実現のため、試行錯誤が始まった。

梅を見に行こう!

 

「憩の家」では、「病は、人間を〝陽気ぐらし〟へ導こうとされる親神様の手引きである」との天理教の教えに基づいて看護が行われている。陽気ぐらしとは、人間の親なる神様の思召のもと、世界中の人々が互いにたすけ合い、喜びに包まれて暮らすことをいう。

治療が奏功して良くなられる場合は、皆さん大変喜ばれ、「これからは、私も人だすけに貢献します」と言ってくださることも少なくない。しかし、難病や予後不良の病気を患う方が、陽気ぐらしへ心の建て替えを果たすのは、並大抵なことではない。その過程にいかに寄り添い、共に歩むことができるか……それが私たち看護ようぼくの使命である。

梅の花がほころぶころになると、がんを患っていた女性患者Aさんを思い出す。Aさんのがんは全身に転移しており、抗がん剤治療が施されたものの、寝たきり状態となっていた。しかし、まだ食事を口から取ることができたので、いまが家で過ごせる最後のチャンスであろうと思われた。

娘さんに相談したところ、休暇を取って実家に帰り、介護できるとの返事だった。そこでAさんに、「治療も一応終わって、いまは点滴もないし、おうちで娘さんと一緒に、ご主人がお仕事から帰ってこられるのを、明かりを灯して待ってあげるというのはどうでしょうか」と持ちかけた。すると、「師長さん、私は主婦だから、ご近所の方が退院したのを知って訪ねてこられたときに、せめて玄関に立って応対できないと、家に帰る意味がありません」とおっしゃった。

Aさんのがんは全身の骨にも転移しており、ほんの少しの衝撃でも骨折する恐れがあった。それゆえ「立って玄関まで歩いて応対する」という目標が達成できるとは考えにくかった。それでも、その願いに一歩でも近づくために、主治医に「リハビリを依頼していただきたい」とお願いした。しかし、若い主治医は体への負担を心配して、終末期のリハビリには否定的だった。

本来、リハビリの目的とは「人間らしく生きる権利の回復」だといわれている。終末期で寝たきりであっても、Aさんが人間であることに変わりはない。ましてや「魂は生き通し」とお聞かせいただき、共に陽気ぐらしを目指す私たちとしては、Aさんの希望をなんとしても叶えて差し上げたかった。

なんとか主治医の同意を取りつけ、リハビリが始まると、驚いた。それまでは、ともすれば暗い雰囲気であった病室が、笑い声も聞かれる明るい空間に変わったのだ。おのずと会話も前向きなものとなった。

そんななか、Aさんは「今年も梅を見に行きたいな」と呟かれた。Aさんにとって、おそらく最後になるであろう花見……。私たちは、Aさんのお花見を実現するために、試行錯誤の末、どこにも体をぶつけることなくAさんを乗用車に乗せる方法を編み出した。それは、シーツにくるんだ状態のAさんを、ストレッチャーから車内へ五人がかりでスルリと引っ張り込み、座らせるという方法だ。何度も何度もAさん役のナースで練習を重ね、ついに、どこにもぶつけないところまで上達した。

お花見の当日、当初は「なにもそこまで……」と批判的であった主治医も出発に立ち会ってくださった。そして、無事に車に乗り込んだAさんのあまりの喜びように、思わず「私も行きたい!」と車に飛び乗られた。……が、100メートルも行かないうちに、さまざまな用事があることを思い出し、あわてて降りて病院へ戻られた。

いかなる状況であっても、喜べるのが陽気ぐらしであるならば、つらい闘病の日々においても、ほんの少しでも喜んでいただける看護を……と、私たち看護ようぼくは、今日も模索し続けている。

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