第1177回2022年5月7日・8日放送
道徳を超えた教え
江戸末期、様々な思想が庶民の生活に浸透する中、教祖の教えはそれら倫理道徳とは本質の全く異なるものだった。
道徳を超えた教え
江戸末期、全国的に広まった思想として、石田梅岩の心学道話と、二宮尊徳が創始した報徳運動の二つがありました。
心学の教えは、日本におけるあらゆる宗教や道徳の教説を、人道主義に基づいて折衷したものでした。心の曇りを取り払い、人間本来の魂の純粋さを強調する説を、学問のない庶民にも通じるように平易にし、理論よりも日常生活における実践に重点を置くことで、庶民の道徳向上に大きな役割を果たしました。
また、二宮尊徳によって提唱された報徳運動は、自然と人生に対する報恩感謝を、教えの根本とするものでした。人間の生活は自然の恩恵によって支えられているもので、これに対する感謝を忘れてはならない。その上で、その自然の恩恵から豊かな収穫を得られるように努力を重ねていく。道徳的な誠実さと経済的な節約を何より重んじるこの思想も、農村を中心に人々の間に広まっていきました。
これと同じ時代環境において説かれた、天理教教祖・中山みき様「おやさま」の教えは、一見、これら封建社会における倫理道徳と相通じるものに見えますが、その本質は全く異なっています。当時の社会制度を言葉で直接批判することはありませんが、教祖はまず、当時の人々にとって重要とされていた家柄や身分、財産、格式、こうしたものを捨て去ったところから教えを説き始めておられます。
「貧に落ち切れ」と、食べ物や着る物、金銭などを困っている人々に何の惜し気もなく施されたひながたや、「女松男松の隔てなし」「高山に育つる木も、谷底に育つる木も同じ魂」といった、一人ひとりの人格を尊重されたお言葉など、当時の人々には未知であった、深く人間性の根底に根を下ろす教えであったのです。
教祖直筆による「おふでさき」には、
いまゝでもしんがくこふきあるけれど
もとをしりたるものハないぞや(三 69)
そのはづやどろうみなかのみちすがら
しりたるものハないはづの事(三 70)
と記されています。
教祖の教えは、人々にこの世界の元を知らしめ、心の入れ替えを促す教えです。時代に流されることのない、世界の源から説き起こされる真実の教えは、やがて人々の心を動かし、厳しい反対や妨害の中にも、次第に真剣にこの道を通る者を増やしていったのです。