第1162回2022年1月22日・23日放送
陽気遊山が見たいゆえから
「人は何のために生きるのか」。この大命題にお答えくださっている「おふでさき」をひもとく。
陽気遊山が見たいゆえから
「人は何のために生きるのか」という問いに答えるのは、とてつもなく難しいことです。私たちはそもそも、そのような大命題を持って生まれてくる訳ではありません。無垢な状態でこの世に生を享け、徐々に生きるための思案を重ねるうちに、疑問や苦悩が生じてくるのです。決定的な答えを求めようとすれば、やはり神様の教えの中に見つけることになるでしょう。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、次のようなお歌があります。
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから(十四 25)
せかいにハこのしんぢつをしらんから
みなどこまでもいつむはかりで(十四 26)
月日よりよふきづくめとゆうのをな
これとめたならさねんゑろなる(十四 27)
「神が何もないところからこの世界と人間を創めたのは、人々が互いにたすけ合い、陽気に勇んで暮らすさまを見たいからであった。ところが、世界中の人間は、この神の思いを知らずに、どこまでも暗く沈んだ心になってしまっている。ゆえに神は、陽気づくめの生き方ができる道を教えようとしているのだ。もしそれを止めるようなことがあれば、神の残念な思いが一層激しいものになるから、充分に承知しておくがよい」
神様が人間を創られたのは、人々が陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しみたいから。であれば、造られた人間は本来、陽気ぐらしができる力を持っている存在だということになります。ここが、私たち人間が自らの存在について認識すべき、最も大事な点ではないでしょうか。
ところが、この真実を知らないがゆえに、大勢の人々が、心が沈むばかりの人生を送らざるを得ないのだと神様は仰せられます。
私たちは、努力次第で陽気ぐらしに近づくことができるのだ。神様がそう望まれて、人間を創られたのだから間違いない。陽気ぐらしとは、そう信じ切ってこそ成ってくる境地ではないでしょうか。