(天理教の時間)
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第1275回2024年3月29日配信

年末に続いた子供の風邪

岡先生(掲載)
岡 定紀

文:岡 定紀

第1077回

胸の掃除

ほんの些細な心のほこりも、払うことを怠れば山のように積もる。そのことをお教えくだされた教祖のご逸話から。

胸の掃除

人間の魂とは本来、澄んだ清らかなものです。しかし、心の使い方によってそれを曇らすのであって、神様はその元凶を「ほこり」にたとえてお教えくだされています。

たとえば、澄んだきれいな鏡でも、それに埃が積もればモノを映すことが出来なくなります。埃というのはほんの小さなもので、誰も心に留めずに素通りしやすいのですが、「ちりも積もれば山となる」で、遂には山のようになって簡単には掃除が出来なくなる。ゆえに、日々ほこりを積まないように注意することが大切です。

とは言うものの、ほこりはいくら払ってもすぐに降ってくるもの。部屋の隅っこやタンスの引き出し、ポケットの底にまで…。ましてや、あっちへ迷い、こっちへ迷い、心を常に目まぐるしく動かしている私たちに、ほこりが積もりやすいのは当然のことと言えます。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、ほこりを払うことを「胸の掃除」と教えられました。私たちが普段、住まいや職場の掃除をするように、自分の胸の掃除も日々怠ってはなりません。掃除を怠ると住み心地が悪くなるのと同じで、私たちの心のほこりも、放っておくと日常生活に良くない影響を及ぼしていきます。

教祖をめぐって、こんな逸話が残されています。 明治十六年頃のこと。当時二十代の青年であった高井直吉(たかい・なおきち)さんが、病を患う人に神様のお話を取り次いでいました。すると先方は、「わしはな、未だかつて悪い事をした覚えはないのや」と食ってかかって来ました。

そこでお屋敷へ引き返した直吉さんが、教祖にお伺いすると、教祖は、 
「それはな、どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放って置くやろ。その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るのやで。その話をしておやり」 と仰せられました。

このお話を承った直吉さんが、直ぐに先方の所へ戻って伝えたところ、「よく分かりました。悪い事言って済まなんだ」と先方はすっかり納得し、ほどなく身の患いをすっきりご守護いただいたのです。
(教祖伝逸話篇130「小さな埃は」より)

神様は「病の元は心から」と仰せられ、病気や災難などの原因は、心のほこり、良くない心づかいから起こることをお示しくださいます。日々、自分は悪い心を使っていないかどうかを省みることが、陽気に明るく暮らすための一助となるのです。

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