第1282回2024年5月17日配信
理ぜめの世界
この世は「理ぜめの世界」と仰せられる通り、親神様のご守護はいついかなる時も整然と筋道立っている。
理ぜめの世界
この世は、親神の身体であって、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に充ちている。そして、その恵は、或は、これを火・水・風に現して、目のあたりに示し、又、眼にこそ見えぬが、厳然たる天理として、この世を守護されている。即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
実に、この世は、理ぜめの世界であって、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。天地自然の間に行われる法則といわず、人間社会における秩序といわず、悉く、奇しくも妙なる親神の守護ならぬはない。
『天理教教典』には、親神様のご守護についてこのように記されています。
この世界は神の身体である、と教えられることからすれば、ご守護は親神様のお働きの「すがた」ということになるでしょう。あるいは、親神様のご意志の現れであるとも言えます。
そう考えれば、この世界の営みすべてが、親神様の恵みであることも、また、時として出合う厳しい状況が、可愛い子供をたすけたいばかりの慈愛の警告であることも理解できます。
しかもそのご守護は、いついかなる時も整然と筋道立った展開を見せられるのです。
お言葉に、「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く」(M25・1・13)とあるように、厳然と、一分のすきもない天の理を諭されています。
親神様の見抜き見通しの眼を前にしては、私たちの隠れる場所はどこにもありません。日頃の言葉や行いはもちろん、心の中でひそかに思うことすら見通され、思召しのままに守護されているのです。このような親神様の眼差しを前に、かしこまり慎むことはもちろん大切ですが、ただそれだけでは、ご守護を存分に味わうことはできません。むしろ自ら進んで、その温かい懐に身をゆだねて通ってこそ、深い親心がより身近に感じられてくるのです。
なんでもこれからひとすぢに
かみにもたれてゆきまする (三下り目 7ッ)
めへ/\にハがみしやんハいらんもの
神がそれ/\みわけするぞや (五 4 )
親神様は、寸分の違いもなく公平に、一れつ人間をお見守りくださっているのです。
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