(天理教の時間)
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第1409回2026年10月23日配信

合理主義を超えて

家族円満 長谷川善久先生
長谷 川善久

文:長谷 川善久

第1240回

くにとこたちのみこと

病気を患った時の思案の仕方について、「くのとこたちのみこと」のご守護を台に考える。

くにとこたちのみこと

 

神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと、この世界と人間をお造りくだされた、私たち人類の親であります。そして今も昼夜を分かたず、この世界の隅々から私たち一人ひとりの身体に至るまで、一切のご守護をくだされています。

教えでは、この神様のご守護を十に分け、それぞれに神名をつけて説き分けられていますが、そのうちの「くにとこたちのみこと」については、「人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理」と教えられています。

私たちは、ご守護を頂く筋道をこの説き分けから学ぶことが大切です。今回は、「くにとこたちのみこと」のご守護である「眼」について考えてみましょう。眼というものは、見る道具です。私たちが神様からお借りしている道具は皆、陽気ぐらしをするためのものですから、やはり見て喜ぶために使うということが基本でしょう。

逆に言えば、見るものに不足をしないということです。人と接する時も、常に人の良いところを探す。人の欠点をあげつらうのが得意な私たちにとって、最も大切なことです。

また、「世界では水の守護の理」と教えられていることから、眼を患った場合には、水の性質や働きから思案を重ね、普段の通り方を改める。これがご守護をいただく手立てとなります。

たとえば、「水は方円の器に従う」と言われるように、水はどのような器にも自らの姿形を変えて合わせることができる。そこから、わが身思案を捨てて、人の思いに添い切る心を作らせてもらう。また、水は高い所から低い所へ流れるという性質を考え、驕り高ぶることなく、常に低い心で通るよう心がける。あるいは、洗濯や食器洗いなど、物の汚れを洗い流す水のように、人の心を洗い清めるような、やさしく美しい言葉使いや、振る舞いを心がけるといったことも考えられるでしょう。

こうした思案の仕方には、決まった公式があるわけではありません。陽気ぐらしを望まれる神様の思いに沿うような身体の使い方、また心遣いを意識するうちに、ご守護をいただくための筋道が見えてくるのではないでしょうか。

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