第1356回2025年10月17日配信
父母に連れられて
代々信仰を受け継ぎ、家族ぐるみで教会へ足を運ぶ。その大切さを教えられた教祖の逸話をひもとく。
父母に連れられて
この信仰は、親から子へ、子から孫へと、代々語り継ぐことが大切であると教えられます。このような神様のお言葉があります。
「もう道というは、小さい時から心写さにゃならん。そこえ/\年取れてからどうもならん。世上へ心写し世上からどう渡りたら、この道付き難くい。」(「おさしづ」M33・11・16)
ゆえに、天理教の教会では、個人で参拝するのはもちろん、家族ぐるみで参拝したり、行事に参加したりする姿が多く見受けられます。
教祖をめぐって、このような逸話が残されています。
明治十五、六年頃のこと。梅谷四郎兵衛さんが、当時五、六歳の三男・梅次郎さんを連れて、教祖のいらっしゃるお屋敷へ帰らせて頂きました。ところが梅次郎さんは、赤衣を召された教祖のお姿を見て、当時煙草屋の看板に描かれていた姫達磨を思い出したのか、「達磨はん、達磨はん」と言いました。
それに恐縮した四郎兵衛さんは、次にお屋敷へ帰らせて頂いた時、梅次郎さんを連れて行きませんでした。すると教祖は、
「梅次郎さんは、どうしました。道切れるで」
と仰せられました。
このお言葉を頂いてから、梅次郎さんは、毎度両親に連れられて、心楽しくお屋敷へ帰らせて頂いたのでした。(教祖伝逸話篇117「父母に連れられて」)
四郎兵衛さんにすれば、たすけて頂いたご恩のある教祖に対して、失礼だという思いが強かったのでしょう。しかし、子供可愛い一条の教祖は、むしろそのような幼子の無邪気な様子を大層お喜びになったのではないでしょうか。そして、親子がこの道の信仰を共にすることの大切さをお諭し下さったのです。
しかしながら、子供に道をつなぐのは容易なことではありません。そのために、各地の教会では、日頃から子供たちに信仰を伝えるべく、様々な少年会活動がさかんに行われています。そして、その総決算として、毎年夏休みには、全国各地から大勢の子供たちが親里に帰り集う「こどもおぢばがえり」が開催されます。
子供の素直な心は、この道の宝です。むしろその子供の純真無垢な姿が、親が自身の信仰を見つめ直す契機となることもあるのではないでしょうか。
かつて教祖を「達磨はん、達磨はん」と呼んで親を困惑させた梅次郎さんは、後に海外布教に尽力するなど、道を弘める上で大いに心を尽くしました。
HOME

