第1283回2024年5月24日配信
くちわにんけん心月日や
教祖のお心は親神様のお心そのままだが、お姿は人間と何ら変わらない。それゆえのご苦労は並大抵ではなかった。
くちわにんけん心月日や
天理教は、元の神・実の神である親神様が、いち農家の主婦であった当年四十一歳の中山みき様、私たちは「おやさま」とお呼びしてお慕いしていますが、その教祖の身体に入り込まれ、教祖が親神様の話を取り次ぐ「月日のやしろ」とお定まりくだされたことにより、始まった教えです。すなわち、教祖のお心は親神様のお心そのままですが、お姿は私たち人間と何ら変わるところはありません。
このことを、直筆による「おふでさき」に、
いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんけん心月日や (十二 67)
しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている (十二 68)
と記されています。
また、『天理教教典』には、
「教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の心である。しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑きものと笑い、或は気の違った人と罵った。」
とあります。
とかく私たちは、理解できないものに対して警戒心を抱き、時にそれを否定し、排除しようとします。浅はかな人間思案とはいえ、それはむしろ当然のことと言えるかも知れません。
いまゝでハをなじにんけんなるよふに
をもているからなにもハからん (七 55)
何も知らない人々に納得を与え、真実の道へ導こうとされる教祖のご苦労は、並大抵のことではなかったでしょう。その深い親心たるや、まさしく一れつ人間の親である所以です。そのご苦労に思いを馳せ、次のお言葉をかみしめたいと思います。
「神の話というものは、聞かして後で皆々寄合うて難儀するような事は教えんで。言わんでな。五十年以来から何にも知らん者ばかし寄せて、神の話聞かして理を諭して、さあ/\元一つの理をよう忘れんように聞かし置く。さあ/\それでだん/\成り立ち来たる道。」(M21・8・9)
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