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第1283回2024年5月24日配信

じいちゃんにまた会える日

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関根 健一

文:関根 健一

第1271回

夫婦のバランス

夫婦が男女それぞれの特性を活かすことで家庭は治まる。ただ女性は仕事において、女性性を発揮しづらいことも多く…。

夫婦のバランス

奈良県在住・臨床心理士  宇田 まゆみ

 

夫婦は二人でバランスを取ることで、一つの家庭としてうまく治まっていきます。夫婦は対等の関係ですが、男性には男性性、女性には女性性という、本来的に男女がそれぞれ持っている特性があり、その二つのバランスによって夫婦というものが成り立っています。

本来は性別と合致した形で、男性が男性性の要素を担い、女性が女性性の要素を担うわけですが、仕事をする女性が増えたことによってそのあり方が変わってきました。男性中心に発展してきた社会に女性が進出する際、本来の女性性を横において、男性性を発揮しなければならない場合があります。そのよう女性は、「強い女性」などと言われたりしますが、そういうケースが増えているのです。

振り返ると私自身もそうで、長年、男性に負けないように、しっかりした自分になろうと力を入れて仕事をしてきました。そういう社会の中で、自分の責任を果たしていこうと思うと、しっかり者であることが求められます。ですから子育てにおいても、男女の別なく、しっかりした子に育って欲しいという気持ちが自然と湧き、「あの子はしっかりしているね」というのが子供に対する最高の褒め言葉のようになっています。そうなると、やはり子供は褒められたいので、しっかり者にならないと、という意識が働くのです。

しかし、それはあくまで男性社会を中心とした基準です。しっかりしている、頼り甲斐があるなどは男性性の特徴であり、逆にふわっとした柔らかさやしなやかさ、か弱さというような女性性は中々発揮されにくいというのが、社会の現状のようです。

もちろん、社会で働くには男女問わず男性性の要素が必要で、男性性を大いに発揮してバリバリ働く頼り甲斐のある女性も多く見られます。そのように能力を発揮できるのは素晴らしいことです。しかし、こと家庭においてはどうでしょうか。知らず知らずのうちに、夫婦が共に男性性を発揮しているような状況も多いと思います。

私も結婚以来ずっと、外で力を入れて仕事をし、家庭でもしっかりした奥さんにならないと!と、主人に張り合うような感覚を持っていました。そして、それが女性としての自分を成長させるための正しい方法だと思っていたのです。

それがある時、尊敬する心身医学の先生に、原始時代からの男女の役割と備えてきた特性、また男女での脳の構造の違いについて教えて頂き、それまでの考えが間違っていたことに気づかされたのです。

現代社会の中で頑張る女性は、自分の持って生まれた自然な特性ではなく、男性社会に合わせた要素を使っているという点で、個人差はあるにしても少し無理をしている人が多いのではないでしょうか。そして、それを家庭に持ち込むことで、夫婦のバランスが崩れるだけでなく、自分自身に向けても、さらに負担をかけることになってしまうのです。

夫婦は二人でバランスを取る必要があるので、妻の男性性が強いと、自ずと夫の女性性が高まると言われています。私の主人はとても優しくて控えめで、身体も細く、いわゆる男らしいタイプではありませんでした。ある時、私が男性性を発揮しているからではないか?と気づき、私自身、女性性を高めることを意識するようになりました。

それまでは、しっかりしている自分でいようと、弱い自分を押し隠して、頼ったり甘えたりすることができなかったのですが、せめて家庭では頑張る自分をやめて、何事も主人に頼るようにしました。すると、主人が以前よりも自分の意見をはっきり主張し始め、家庭でも自然とリーダーシップを発揮するようになり、そのうえ仕事も順調に進み出したのです。

さらに不思議なことに、細身だった主人の体型ががっしりとしてきて、胸板も厚くなってきたのです。

夫婦のバランスが整うことで、男性は安心して外へ出て自分の力を発揮できることを目の当たりにし、びっくりすると共に喜んでいます。夫が頼もしく活躍している姿を見て、男女の特性を活かし、夫婦のバランスを整えることがどれほど大事なことかを痛感する、今日この頃です。

 


 

幸福な生活とは

 

「徳川家康は『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし』と言ったが、全くその通りだなぁ……」

私が「憩の家」看護部長時代の院長は、病院の重責を担う心境をこう語られたことがあった。朝は誰よりも早く出勤されるので、それを見習って私も早く出勤する癖がついた。四十年余りの看護師生活で身についた朝起きの習慣は、定年後も変わらず、実に健康的である。

しかし、看護師としての臨戦態勢は、なかなか解くことができなかった。「いつ、緊急の連絡が入るかもしれない……」という緊張感が消えず、常にアンテナを張り巡らせる状態が続いた。一年ほどかけて「もう、あの臨床現場に出なくてもよくなったんだよ」と自分自身に言い聞かせ、やっと自分を解放することができた。

長年の憧れだった、平日のよく晴れた日、日の当たる時間帯に洗濯物を干す。お日さまのもと、さわやかな風が吹いて木の葉がキラキラしている。

「平和だなー、もったいないなー。幸せだなー」つくづく平穏な日々を味わった。

その後、奈良県看護協会会長の重責を頂いたが、おかげさまで平穏の心は続いている。

そんな折、「物理学者アインシュタインが書いたメモ二枚がオークションにかけられ、約二億円で落札された」というニュースを耳にした。

アインシュタインは1922年に講演のため日本を訪れ、滞在していたホテルのボーイに、チップの代わりとしてこのメモを手渡した。そこにはドイツ語で、『静かで質素な生活は、絶え間ない不安に縛られた成功の追求よりも多くの喜びをもたらす』と記されていたという。その言葉は、定年直後のあの心理状態の変化を思い出させた。

私は中学卒業と同時に、天理の学校で、おやさまのお心を胸に、病む人に尽くす「看護ようぼく」となるべく、特別なコースで教育を受けた。その後は、「憩の家で高度医療を受けられる患者さんに、少しでも喜んで帰っていただこう」と、看護に全身全霊を打ち込んできた。

決して自らの「成功の追求」のために取り組んだのではなかったが、患者さんの安全を守り、年若いスタッフがミスなどを起こさないよう指導し目配りする毎日が、「絶え間ない不安に縛られた」日々であったのは間違いない。信仰を持ち、親神様、おやさまという心の拠り所がなければ、定年まで勤務を続けられなかったかもしれない。

でも、「もし初めから静かな生活をしていたら、いまのような心穏やかな暮らしができていただろうか」とも思う。ひょっとすると、小さなことをクヨクヨと思い煩ったり、家族にチクチクと嫌みを言いながら暮らしていたかもしれない。人生のなかで、わが身を投げうって人に尽くす仕事に打ち込む時期があったからこそ、それが終わったとき、「静かで質素な生活」に「多くの喜び」を味わうことができたのではないか。

これまで多くの病む人々に接してきた。いま、こうして健康であることが、どれほどありがたく、奇跡的なご守護の賜物であるかは、身に染みて分かっている。健康な余生を頂けた幸せを、一日一日味わって暮らしたい。

人々の穏やかで幸福な生活を守るために、医療をはじめとするさまざまな現場で働く人は、ストレスの多い厳しい毎日を送っておられることだろう。でも、それこそが、いずれは自らの幸福につながることは確かだと思う。

病院勤務時代に苦楽を共にした〝共に戦う戦士〟であった仲間たち、お世話になった上司の方々に、穏やかで喜びに満ちた日々が訪れていることを願ってやまない。

(終)

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