(天理教の時間)
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第1304回2024年10月18日配信

神様の大作戦(中編)

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1212回

愛情を求めてもよい唯一の相手

日常の夫婦関係はその場の感情に左右されやすく、不満も生じやすい。そんな中、どのように心を治めたら良いか。

愛情を求めてもよい唯一の相手

奈良県在住・臨床心理士 宇田まゆみ

 

今日も一日が始まりました。昨日の夜は呼吸をするのも忘れて眠ったのに、今朝はもう勝手に目が覚めて呼吸ができている。考えるとこれほど不思議なことはありません。

私という存在は、自分の力で生きているようで、実はそうではなく、生かされて生きているのだと感じることができます。その根本の事実を感じた時、自然と心に感謝が生まれます。とはいえ、私たちは日頃そのことを忘れて、目の前の出来事にばかり心を奪われて過ごしていることが多い気がします。

これは家族の存在、特に夫婦関係でも言えるのではないでしょうか。身近過ぎて、いるのが当たり前のようになっている。その中で色々と心が動いて、幸せを感じることもあれば、不満も生じてくる。目の前の感情に動かされて生きているように感じるのです。

カウンセリングの現場にいると、家族や夫婦の関係について悩みを抱えている方と出会う機会が多くあります。関係が上手くいかず、どうしたらよいのか分からずに来談される方の中には、まるで糸がぐるぐる絡まって、自分では解けなくなっているような心の状態の方も少なくありません。

特に夫婦関係は、感情面の動きが大きくなりやすいように感じます。それもそのはず、パートナーは、大人になってから愛情を求めてもよいとされる、唯一の相手なのです。

人が生きていく中で、愛情というものは欠かすことができません。子どもの時には皆、親や養育者がそばにいて、身の回りのお世話をしてもらい、目に見える愛情も見えない愛情もかけてくれたおかげで現在があります。十分な愛情ではなかったという場合もあると思いますが、これまで生きてこられたのは、親や養育者の愛情を少しでももらってきたからです。

私は人生の師匠から、人間が生きる過程で愛情を求めてもよいのは、親と伴侶だけであると教わり、心がとても楽になったのを覚えています。身近に存在する誰からも愛情をもらいたいという思いが、ストレスを作っていたことに気づいたからです。

ここで言う愛情には、自分を認めてもらいたいとか、わかって欲しい、自分の気持ちを汲んで欲しい、などと相手に求める思いも含まれています。

本来、我が子であったり、ご近所や職場で出会う人たちというのは、愛情を求める対象ではないのです。それを知らずに、いろんな人に自分の存在を認めてもらおうとして、その周囲の反応に振り回されていることが多いのではないでしょうか。

パートナーとの関係は一方的なものではなく、お互いに求め合い、満たし合う関係です。夫婦で心が満たされれば、外へ求めにいく必要がなくなり、常に安心して暮らすことができます。逆に言うと、夫婦関係がそれほど重要であることを知らないために、愛情を我が子や周囲の人に求めてしまい、自然なバランスを崩すのかもしれません。

天理教では、神様は、この世の天と地を象って夫婦を造られたと教えられます。天を表す男性、地を表す女性という性質の異なる存在がペアになって家族が誕生し、新たな命が生み出されます。

夫婦の間がいつも愛情であふれていて、お互いに求めるものが満たされる。そんな関係が死ぬまで続くとしたらどうでしょう? そんなことは無理だと言われる人が多いかもしれません。確かに自然にそうなることはまれで、そのためにはお互いに向き合うことが必要です。パートナーと向き合うと同時に、それぞれが自分自身の心と向き合うことが必要なのです。

夫婦関係では、相手に対する不満が募る場合が多いと思います。なぜこうしてくれないのか、いつも自分ばかりが努力している。もう少し考えてほしい、などと、表面的な感情に動かされてしまいがちです。そのような不満や不安が出てきた時に、私はその時の自分の感情は喜怒哀楽でいうと何だろうかと、あらためて眺めてみることにしています。

人間の持つ喜怒哀楽の感情には良いも悪いもありません。ですから、相手に対する不満で怒りが激しくなった時に、無理にそれを抑えようとか、なくそうとするのではなく、その怒りを抱いている自分自身に好奇心を持つのです。なぜそんなに怒っているのか?と。

お勧めは一人でお風呂に入って、ゆっくりと湯船に浸かりながら、怒りを持つ自分を眺めることです。そうすると感情がフラットになってきて、怒りの奥にある自分の本当の気持ちが見えてきます。もっと分かって欲しいとか、もっと大事にして欲しいなど、自分の素直な気持ちがあることに気づきます。

そうして自分と向き合って、そうか、私はただ自分の気持ちを大事にしてもらいたいだけなんだ、ただ幸せになりたいだけなんだ、と認めるのです。そういった自分の本当の気持ちに気づいて、その思いを素直に伝えることで夫婦関係は大きく変化します。夫婦円満になるための鍵は、相手ではなく、実は自分が握っているのです。

今日も当たり前のようにそばにいてくれるパートナーの存在に感謝して、素直な思いを言葉や態度で表したいものです。

 


 

衣食住について

 

人間の衣食住は、さまざまな物質によって支えられています。この物質を自分の所有物にする上で必要なものがお金ですが、いずれにしても、人が物質や金銭の制約を離れて生きていくのは難しいことです。

大方の人は、物質と金銭に対する切実な関心を持っていて、その長い歴史の積み重ねによってある種の固定観念が生まれました。それは、ある水準まで物質的条件が満たされなければ幸せな生活とは言えない、という考え方であり、多ければ幸せ、少なければ不幸であるという見方です。

日本国憲法には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とありますが、健康で文化的な生活のために、ある程度の豊かさが必要なのは当然のことです。そこで人は富を求め、貧しさを恐れるのですが、では、どの程度まで満たされれば「陽気ぐらし」ができるのか、またそれを満たすための方法はどうあるべきか。そのヒントを与えてくれるのが、天理教の根本教理である「かしもの・かりもの」の教えです。

人間にとって自分そのものであると思われる身体ですら、神様からのかりものなのですから、この世界における物質や金銭も当然、我がものではありません。では、人間にとって「もの」とは何であるか。神様は、「与え」という言葉で教えてくださいます。

それは正に「天の与え」です。神様は、人間のつとめに応じて「天の与え」をくださるのであり、それによって、私たちは必要な衣食住を満たしているのです。

身体の内外に働くご守護に加えて、神様は私たちに知恵と文字を与えてくださいました。この二つによって習得した労働と技術が、人間の衣食住を支える基本的な柱となります。

「この世は神の身体である」と教えられる通り、この世界には、神様によって人間の生きる条件がすべて用意されています。空気や水、太陽の熱をはじめ、海には多くの生き物、野には米や野菜、山には樹木、地下には鉱物資源というように、まさに準備万端整っているのです。

しかし、人間が何もしないで遊んでいては、これらを活用することはできません。魚一匹とるにも人間の手による働きが必要であり、お米を作るためには相当の技術がいります。こうして、人間の働きによって、この世界には抱負な物質が生み出されることになります。

そして、次の段階では、そうして生産、獲得されたものを、いかに公平に分配し、陽気ぐらしの上に役立てていくか、という視点が必要になります。ここで私たちの心遣い、信仰の問題が重要になってきます。

いずれにしても、人は、知恵と学問によって習得した技術をもって、かりものの身体を働かせれば、神様は必要なものを必要なだけお与えくださる。そして、心一つが神様の思いに叶うなら、そうした物質的条件の上に陽気ぐらしを築くことができる。そのように言えると思うのです。

(終)

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