第1211回2022年12月31日・2023年1月1日放送
あの日があったから
30年前、教会の神殿が全焼した。先を案じる父に、恩師の先生が心の指針を与えてくださった。
あの日があったから
滋賀県在住 池戸 剛
今から30年前の11月4日早朝のことです。
「お父さん、お父さん、火事っ!」
母の父を起こす声が聞こえてきました。
「えっ?どこが?」
「こっ、小屋が燃えてる!」
「えっ!!」
その声を聞いて、当時中学一年生の私はビックリして飛び起き、すぐにきょうだいたちを起こしました。慌てて玄関から外へ出て神殿を見ると、神殿裏の小屋から出た火が、私たち家族が寝ている神殿二階の軒にかかっていました。
辺りはまだ真っ暗で、燃え上がる火が異様に明るく感じられました。
「運べるだけ運びだそう!」
パチンパチン、と木が燃える音が響く中、父が神様にお詫びの参拝をしました。そして、急いで家族で手分けをして、神様が鎮まるお社やおつとめの鳴物をワゴン車に運び込みました。間もなく消防車が到着しましたが、残念ながら神殿は全焼しました。
早朝の火事でしたが、幸いにも両親と私たちきょうだい、住み込みのおばさんの教会家族は全員無事に避難することができ、神殿以外の平屋の建物も無事でした。
私たちきょうだいは、茫然自失の状態で近所のおうちに避難させてもらいました。しばらくして、離れて住んでいる祖父母が駆けつけてきました。祖父の「お~、みんな、無事だったか~」という声を聞いた途端、張り詰めていたものが緩み、みんなの目に涙があふれました。
一方、父と母は、祖父と祖母が布教に歩いてお与え頂いた神殿が目の前で燃えてしまい、自責の念を感じていました。ましてや「ようきぐらし」の看板を掲げている教会が火事を出したことを、世間の人は何と言うだろうか。いっそ、神様のお社と一緒にどこかへ逃げてしまいたい。父はそう思ったそうです。
神殿が燃えてしまい、これから教会や家族の生活はどうなっていくんだろう、と子どもなりに思いました。そんな中、私たち家族の信仰上の恩師である先生は、父にこんな話をされました。
「火事で神殿がなくなったということは、あんたは教会長から一布教師にならせてもらったんや。こんなありがたいことはないで。苦労の中を通らせてもらおうと思っても、今の結構な世の中では難しい。こんな時こそ低い心で、子どもたちと一緒にしっかり苦労させてもらいなさい」
私は父からその話を聞いて、不思議と先への不安が和らいだことを覚えています。教会を預かる立場として、一信仰者として、両親も心が折れそうになったに違いありません。しかし、その中で、恩師の先生から心の指針をアドバイスしていただき、苦しい中にも神様の親心を感じ取ることができ、心を切り替えられたのだと思います。
火事の後、六畳の客間に仮の祭壇を作って神様をお祀りしました。神殿二階の生活スペースもなくなり、布団も洋服も燃えてしまいました。しかし、近くの閉鎖された病院から布団を頂き、着る物も近所の皆さんが持ち寄ってくださいました。他にもあらゆることを皆さんがいつも心にかけ、たすけてくださることが本当に嬉しかったです。
家族は、神様のおられる部屋のすぐ隣の部屋に布団を並べ、父は押し入れで寝ていました。確かに狭くはなりましたが、わずかでも生活する建物が残ったおかげで、家族全員が教会に留まることができました。皆で布団を寄せ合って寝ることにも、不思議に楽しさと安心感があり、不自由はあまり感じませんでした。火事で物は少なくなりましたが、それによって味わえる幸せもあるということに気づかせてもらいました。
私たちの身の回りにある、神様からのたくさんのお与え。そして、家族や周囲で支えてくださる方々の存在。そのような幸せの原点を、火事という大きな出来事を通して教えて頂いたのだと、30年経った今、あらためて感じるのです。
さて、神殿が復興されるまでには五年の歳月がかかりました。その間、両親はさらに人だすけに励み、信者さん方も何かにつけて心を寄せてくださいました。神殿復興に至るまでには、渡り廊下やお風呂、ブロック塀などは自前で作り、子どもたちも一緒になって手伝いました。新しく建つ予定の神殿の図面を見ているだけで夢が広がり、毎日わくわくしていたことを覚えています。
新しい神殿が完成した時、私たち家族や信者さん方は感激で涙が止まりませんでした。
「神様、今日のこの喜びのために、火事という出来事を見せてくださったんですね。ありがとうございました」
高校三年生になっていた私は、涙ながらにそうお礼を申し上げました。
30年前のあの日があったから今があり、この信仰がある。当たり前の毎日が、本当にありがたく思えるのです。
HOME

