(天理教の時間)
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第1287回2024年6月21日配信

トイレのスリッパ

伊藤教江先生
伊藤 教江

文:伊藤 教江

第1201回

人間の自然的状態

いまだ多くの人が神様の存在を知らずにいるこの世界。果たして人は、神様を知る素質を持ち合わせているのか。

人間の自然的状態

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」によって示されたこの教えによって、神様の存在と世界の根本原理が説き明かされている現在ですが、依然として、それらを知らないままに暮らしている多くの人々がいます。そうなると、果たして人間には神様を知る素質があるのか、という疑問が生じてきます。

この点については、人間がいわゆる自然的状態のままにある間は、神様の存在に目を開くのはきわめて難しいということが、数々のお言葉によって示されています。人間は自分たちのことを優れたものと思っているが、そこには様々な欠陥がひそんでいて、それが神様と人間との間に大きな壁となっていることを教えられます。

まず、人間には欲があります。この欲とは、食欲や睡眠欲など、生きていく上での必然的な欲求ではなく、社会生活をする上での、自分さえ良ければという心や、正当に望み得る限度を超えてまで欲しがる欲求です。

  みれバせかいのこゝろにハ
  よくがまじりてあるほどに(「みかぐらうた」九下り目3)

それから「むごい心」。酷い心とは、自分の利益や立場を守るために、他人を傷つけたり犠牲にしても平気な心です。

  むごいこゝろをうちわすれ
  やさしきこゝろになりてこい(五下り目6)

他にも、「ひとのこゝろといふものハ うたがひぶかいものなるぞ」(六下り目1)と、人間の疑い深い資質を指摘されたり、「むしやうやたらにせきこむな むねのうちよりしあんせよ」(八下り目6)と、せっかちで、すぐに結論を求めたがる性分を戒めておられます。

これ以外にも、あらゆる欠陥が指摘されていて、これが自然的状態における人間だとすると、そこにとどまっている限り、神様と人間との距離は絶望的に遠いと言わなければなりません。

果たして、私たちはこの欠陥を克服できるのか。神様が人間を創られた以上、不可能であるはずはありません。たとえ今の人間がそういう状態に落ち込んでいるとしても、そうあるのが当然ではなく、未来へ向けて克服されていく課題であると捉えるべきでしょう。

そこでその原因を追及すると、多くは心の「ほこり」にたどり着きます。

  よろづよにせかいのところみハたせど
  あしきのものハさらにないぞや(「おふでさき」一 52)

  一れつにあしきとゆうてないけれど
  一寸のほこりがついたゆへなり (一 53)

人間は本来、神様の子どもであるから、「あしきのもの」はない。だが、実際にはほこりがついている。「一寸のほこり」と言われますが、これはなかなか根強いもので、ここからあらゆる欠陥が生じてきます。

これがあるゆえに、心が曇って神様の思いが理解できない。自らの感情のままに流され、神様を信じることができず、人生に迷いが生じてしまうのです。

  せかいぢうをふくくらするそのうちわ
  一れつハみなもやのごとくや ( 六 14)

  にち/\にすむしわかりしむねのうち
  せゑじんしたいみへてくるぞや( 六 15) 

世界の人々の心は、もやがかかったように曇って一寸先も見えていないが、ほこりを払い、心が澄んで成人するにつれ、神様の思いも分かってくる。そうして、神様の思いに添って生きることに喜びを感じるようになる。これが本来のあるべき人間像であり、ここまでは到達可能である、と教えられています。

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