(天理教の時間)
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第1275回2024年3月29日配信

年末に続いた子供の風邪

岡先生(掲載)
岡 定紀

文:岡 定紀

第1199回

ここはこの世の極楽や

多額の借金を背負って行き詰まった実業家。彼は友人の邸に招かれ「南無地獄大菩薩」との言葉に出合う。

ここはこの世の極楽や

 

実業家として成功していたAさんですが、ある時から事業に行き詰まり、多額の借金を背負ってしまいました。銀行も融資には応じてくれず、最後の最後に財産家の友人のことを思い出し、電話で事情を話し、約束の日時に訪ねていきました。

さあ早速お金の話を、とAさんが意気込んでいると、広大な邸の小さな茶室に案内されました。邸の主である友人は、一時間、二時間経っても一向に姿を見せません。イライラが頂点に達した頃、ふとAさんが床の間の掛け軸に目をやると、そこには「南無地獄大菩薩」と書かれていました。

「地獄こそ自らを救わんとする菩薩なり」。掛け軸を食い入るように見つめ続け、自分の心境と重ね合わせるAさん。なるほど、自分が今地獄のような境遇であることは紛れもない事実である。この苦しみから逃れるために必死に努力をしてきた。だが、たとえ今日友人からうまくお金を借りられたとしても、地獄から脱け出せるという保証はあるだろうか。

ここまで思案すると、Aさんの心は意外なほど穏やかになりました。よし、この状況が自分の運命なら甘んじて受け止めよう。きれいさっぱり裸になり、この地獄こそ我が棲み家だと見定めて、人生をやり直すんだ。もう友人にお金のことは頼むまい、そう心に決めました。

Aさんは掛け軸に向かって丁寧に一礼をして、茶室を出ました。やがて顔を表した友人にはお金のことは一切口にせず、「今日はまたとない、素晴らしいお宝を頂戴しました」とお礼を述べました。友人は「それは何よりでした。またお困りの時は、いつでもお出でください」と、涼しい顔で応じました。

友人が、Aさんのためにその掛け軸を用意し、茶室に案内したことは言うまでもありません。その後Aさんは、この苦境に正面から立ち向かい、見事、事業の立て直しに成功したそうです。

さて、天理教においては、地獄またはそれに類する教語はありません。たとえ側から見れば地獄のような状況であっても、その中に神様の親心を悟ることができれば、地獄ではなくなる道が用意されているということでしょう。

教祖・中山みき様「おやさま」が教えられた「みかぐらうた」に、

  こゝはこのよのごくらくや
  わしもはや/\まゐりたい(4下り目 九ッ)

とあります。

このお歌が作られたのは慶応年間。教祖がこの教えを開かれてから、およそ三十年の歳月が流れていました。この間、世間の人からは笑われ謗られ、貧のどん底にありながらも、教祖は常に明るい喜びの心を失わずに、たすけ一条の道を通って来られたのです。そのような只中にあって、「ここはこの世の極楽や」と高らかに歌われた教祖のお心を、深く思案するべきだと思うのです。

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