(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1188回

てびき

私たちの人生における、進むべき方向性とは。それが明らかになれば、溌溂と前に進んで行くことができる。

てびき

 

日々の生活において、何の目的もなく、どのような方向性も持たない行動には生気が感じられません。やはり、目指す目的に向かってひたむきに取り組む姿は輝いて見えます。

生物学の発想によれば、物事の動きはすべて「向きを持つこと」に従って進むもので、それが失われたところには沈滞があるだけだとされています。

この理論に従って、果たして私たち人間のとるべき方向性はどのようなものかと考えてみます。人間はどこから来て、どこへ行くのか。それが明らかになれば、そこへ向けて思い切った生き方の舵を取ることができます。荒波をかき分け、襲いくる障害にも耐え、ひたすら前に進んで行く。まさに溌溂とした生き方の情景です。

 月日にわにんけんはじめかけたのわ
 よふきゆさんがみたいゆへから(「おふでさき」十四 25)

神様は、このお言葉によって、私たち人間は、陽気ぐらしをするために創られた存在だということを教えてくださいました。すべての人間は、陽気ぐらし実現のための魂を持つ者として、この世に生を享けているのです。

こうして、人生において進むべき方向性を神様が示してくださるにもかかわらず、私たち人間は、時として自らそれを狂わせてしまいます。それが、私たちが幸せを求めているのに、その望みが必ずしも成就しない原因です。

『天理教教典』には、次のように記されています。

「親神は、知らず識らずのうちに危い道にさまよいゆく子供たちを、いじらしと思召され、これに、真実の親を教え、陽気ぐらしの思召を伝えて、人間思案の心得違いを改めさせようと、身上や事情の上に、しるしを見せられる。

  なにゝてもやまいいたみハさらになし
  神のせきこみてびきなるそや(二 7)

  せかいぢうとこがあしきやいたみしよ
  神のみちをせてびきしらすに(二 22)

即ち、いかなる病気も、不時災難も、事情のもつれも、皆、銘々の反省を促される篤い親心のあらわれであり、真の陽気ぐらしへ導かれる慈愛のてびきに外ならぬ」(第六章「てびき」)

我が子が地図も持たずに、自分勝手にやみくもに歩いていこうとする危うさを、神様は「をや」として黙ってみていられないのです。崖っぷちをさまよう子どもたちを、襟首を掴んででも安全な場所へと引き戻そうとします。

私たちの身の周りに起こる病気や災難には、そのような意味があるのです。すなわち、これが神様による「てびき」であり、陽気ぐらしへ向けて私たちの心を入れ替えさせようと、軌道修正を促してくださるのです。

私たちは苦悩がない時には、自分の足元を見つめることなど忘れてしまいます。身を病んではじめて、自分自身を省みるものです。問題が差し迫った時、そこに神様の慈愛の手が差し伸べられていることを信じて、喜びの道を歩むきっかけとしたいものです。

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