(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1183回

わしらは結構や

物に不自由する道中、「もう、お米はありません」との娘さんの訴えに、教祖はどうお答えになったか。

わしらは結構や

 

何か自分の欲求が満たされた時に使われる、「結構」という言葉。満足感に浸りつつ、「ああ、結構、結構」と、にこやかな表情を浮かべる様は、幸せの典型とも言えるでしょう。

神様のお言葉にも、結構という言葉がしばしば使われますが、その意味は少し違います。

「心に結構という理を受け取るのや。結構は天のあたゑやで」(「おさしづ」M35・7・20)

私たちは普通、何か都合の良いことが起きた時に結構と感じます。しかし、むしろ神様は、何事も「結構」と感じられる心を自らつくっていくことが大切であると、お諭しくださっているように思うのです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、「貧に落ち切れ」との神様の思召しのままに、次々と困っている人々に施しをされ、自らは物に不自由する道中を通られました。そんな中、娘さんの「お母さん、もう、お米はありません」との悲痛な訴えを受けて、次のように諭されました。

「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」(「教祖伝 40頁」)

人が不足の心を抱くのは、物質的な困窮にあった時がいちばんでしょう。そんな中、教祖は、お米がないことに心を曇らせるのではなく、清らかな水をおいしくいただけること、健康に恵まれていることを喜びましょう。こんな結構なことはないんですよと、家族を明るく励ましておられます。

また、教祖は、糊口をしのぐため、息子さんや娘さんと一緒に、夜通し仕立物や糸紡ぎなどをされることも度々でしたが、そんな時には、「お月様が、こんなに明るくお照らし下されている」と、神様のお与えである月の明かりを「結構」に頂けることを心から喜び、夜なべに精を出されたのでした。(教祖伝 39頁)

教祖の尊いひながたと、教祖に導かれ、共に歩まれた家族の道中に思いを馳せ、いつでも「結構、結構」と喜べる心をつくりたいものです。

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