(天理教の時間)
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第1275回2024年3月29日配信

年末に続いた子供の風邪

岡先生(掲載)
岡 定紀

文:岡 定紀

第1180回

元一日

何事においても「初心忘るべからず」。この教えも「元一日」が極めて重要な意味を持っている。

元一日

 

昔から「初心忘るべからず」という戒めがありますが、何事においても、初めというものは極めて大切な意味を持ちます。

入学初日、新入社員としての初仕事、結婚式での将来への誓い、などなど。どの場面においても、人は身震いするほどの緊張を覚えるものです。そうした緊張感と、それに伴う充実感を常に忘れることなく持ち続けていれば、以後も不足や不満の起こることはないはずです。

ところが、私たち生身の人間は時間の中に生きています。十日経ち、二十日経ち、一月、二月、一年二年と過ぎてゆくうちに、知らぬ間に初めの感激を忘れ去ってしまいます。喜びは次第に薄れ、反対に愚痴や不足が増えていきます。そういう時に大切なのは、「初心にかえる」、初めの思いに立ち戻ることです。

天理教の教えは、この出発点、「元」が極めて重要な意味を持つことから、「元一日」の教えとも言うことができます。元一日とは、人間の元の親である神様が、人間世界を創られた元一日の時。まさに初めの中の初め、究極的な始まりの時です。その神様の御心に思いを致すことが、信心する者にとっての心の置き所となるのです。

それを端的に表された、次のようなお言葉があります。

  月日にわにんけんはじめかけたのわ
  よふきゆさんがみたいゆへから(「おふでさき」十四 25)

  せかいにハこのしんぢつをしらんから
  みなどこまでもいつむはかりで(「おふでさき」十四 26)

人間は元々「陽気ぐらし」をするべくこの世に生を享けているにもかかわらず、その真実を知らぬがゆえに、みな「いづむばかり」、陰気にふさいだ生活をしているというお歌です。こうした人間たちを、陽気ぐらしの本来性に立ち返らせたいがゆえに、神様は私たちに大いなる親心を掛けられ、昼夜を分かたずお見守りくださるのです。

人は誰でも、様々な「初め」の時を経験しています。しかし、どういう初めも、さかのぼれば全ては「陽気ぐらしをさせてやりたい」という「元一日」の神様の思いと結びつくのであり、そこに根差してこそ、真に生きた意味を持つのです。

人間の元は一つしかなく、その元一つ、親一つという究極の真理が、私たち一人ひとりの魂には深く刻みつけられているのです。

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