(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1169回

母と娘の恩返し

「天理教の神様にお礼がしたい」とご婦人が来訪。聞けば母親が50年前、出産の際に大きな恩を受けたという。

母と娘の恩返し

 大阪府在住  芦田 京子

 

ある日、教会に一本の電話が入った。夫が出ると、見ず知らずのその方は、こう言った。

「突然ですが、実は私の母が昔、天理教の方に大変お世話になったので、天理教の神様にお礼をしたいと言っているんです。ついては、その話を是非聞いていただきたいので、一度お会いできないでしょうか?」

そこで約束の日を決めて、お会いすることになった。

その日、私が時間より早めに外へ出てみると、すでに玄関の石階段の上に人影があった。声をかけると、「はじめまして。母の使いでやって参りました」と、その方が口を開いた。

天理教の教会は初めてというその方に、神殿で待っていた夫が、親神様、教祖、祖霊様の三つのお社の説明をして、四拍手の参拝の作法を伝えると、熱心に聞かれ、丁寧に参拝をしてくださった。そして、別間にご案内して、その方のお話をうかがったのだった。

聞けば50年も前のお話であった。かつて彼女の母親が、大阪の天王寺にあった天理教の助産所でお世話になったことがあり、その時のお礼の気持ちを伝えたいと、娘さんが代わりに近くの天理教の教会に足を運ばれたということである。

当時、彼女の母親は、三人目の子どもを授かり、すでに妊娠八カ月の身重だったという。決して楽ではない暮らしの中で、お姑さんが病で半身不随となり、入院を余儀なくされた。

二人の幼子の手を引きながら、母親は大きなお腹で毎日、お姑さんのお世話をしに病院へ通った。頼る人もなく、お産の費用を捻出する当てもないまま、出産の日は近づいてきた。

母親は困り果て、ついに役所に行って、「なんとか子どもを生ませてください」と泣きついたという。その時、相談に乗ってくれた役所の人が、「それならここへ行きなさい。ちゃんとお世話をしてくれるから」と言って紹介してくれ たのが、その頃、大阪の天王寺にあった天理教の助産所であった。

「そこで母は出産しました。費用は300円しか請求されなかったそうです」と娘さんは言った。おそらく、いくら50年前でも、300円でお産をさせてくれる所はどこにもなかっただろう。その時の母親の窮状を見かねた特別の計らいだったという。

「その助産所の方は、本当に親切にお世話をしてくださったそうです。そのとき生まれたのが私でした。母はそのご恩が忘れられなくて、いつかお礼の気持ちを伝えたいと、今日の日までずっと思い続けてきました。実は一年前に父が亡くなったんです。それからしばらくは落ち着かない毎日を送ってきましたが、ここでやっと母も気持ちを取り直して、これまでの人生を振り返ることが出来たんだと思います。それで母からお礼を言って来て欲しいと頼まれて、今日、私が思い切ってお訪ねしました」

そのお話のあと、携帯電話で、お母様ご本人からも直にお話を聞かせていただいた。
「大変遅くなりましたが、お礼の気持ちを伝えられて嬉しく思っています」という言葉が耳に残った。

お礼をするには、確かに長い時間が経っている。しかし、半世紀も前に受けた恩に何としても報いたいというその心に、こちらが深く感銘を受けたのだった。

電話を切ると、娘さんが口を開いた。
「実は、私の父は幼い時に韓国から日本にやって来ました。私たちは在日韓国人なんです」

話を聞いて、私は驚いた。つい最近まで私が会長を務めていた教会の信者さんには韓国の方が多く、その方たちに支えられてきたと言っても過言ではなかった。そのことを思うと、このたびの出会いは、神様が結んでくださった不思議なご縁のような気がしてならなかった。

詳しくお話をうかがうに連れて、おそらく、今日の日を迎えるまでに一家の歩んだ道すがらは、言葉に尽くせぬ苦難の連続だったのではないかと思った。だからこそ、そんな中でめぐり会った天理教の助産所で出合った誠真実は、小さなともしびとなって、母親の心を温め続けたのだろう。娘さんは、母親から預かったお礼の気持ちを神様に捧げ、再び丁寧に参拝をし、帰って行かれたのだった。

その助産所は、「天理大阪助産所」という。天理教の社会事業の一環として昭和24年に開設され、昭和54年にその役目を終えた。その間、男児11907名、女児11130名、計23037名が誕生した。娘さんは、その中の一人である。

施設はなくなり、その時の助産師さんも、お世話をされた方々も、もうおられないかもしれない。しかし、その時の真心は、50年経った今も、燦然と輝き続けているのである。

 


 

しあわせデッサン出会いを楽しむ人生の旅
 「人間いきいき通信」2019年3月号より

諸井 理恵

 

「静岡方面まで乗せてもらえませんか?」

三重県の御在所サービスエリアで休憩し、車に戻ってきた私に声をかけてきた二十代前半の青年二人。聞けば、九州まで旅行した帰路、京都から東京までヒッチハイクで帰ろうということになり、ここまでは乗れたが、この先なかなか乗せてもらえる車がなくて困っているとのこと。

私の車の後部座席は二つとも空いており、どうぞお乗りくださいと言わんばかりに、まるでスタンバイ中のよう。

「そうね、いいよ。浜松までだけど、どうぞ」

こうして浜名湖サービスエリアまでの114kmの道中を、この二人の青年と共にしました。

車中では終始会話が弾み、いつもは一人で音楽でも聴きながら走る時間が、初対面の二人の青年によって思いがけず楽しい時間となりました。

人が旅に出る理由や目的はいろいろでしょうが、旅先で出会う人との交流を楽しみにしている人もあります。若い人たちがヒッチハイクをあえて選ぶ理由は、この「人との出会い」にあるのかもしれません。

後日、A君のSNSには、すてきなお礼のメッセージが並びました。

「京都からはヒッチハイクで帰りました。これがめちゃくちゃ面白かった。

『腕にタトゥーを入れている建設業の社長さん』
『天理教の信徒さんで、めちゃフレキシブル、柔軟な考えを持っている幼稚園の園長さん』
『浜松から東京へ単身赴任をしている二児のお父さん』

いろんな人と出会って、いろんな話ができました。皆さん優しくて、本当によくしてくださり、ありがとうございました。これまで人からしてもらった分、今度は自分から人に何かをしてあげられる人間になりたいです」

彼らに何をどう話したのか忘れてしまいましたが、私には「フレキシブルな園長」というキャッチフレーズがついたことに笑ってしまいました。どうやら若い彼らにもいろいろあって、人生の切り替えをする旅だったようです。

人生はよく旅に例えられます。異なる文化、業種、年齢の人と、新たに交流を持つことを避けずにさえいれば、旅はもっと豊かになります。

三歳児の年少さんはよく、幼稚園を訪れるお客さんに「だれ?」と言いながら寄っていきます。「知らない人と簡単にしゃべってはいけません」という大人の老婆心をよそに、見るもの、会う人に興味津々で近づきます。

良識は必要ですが、偏見を持たないということも大切で、心を開いていろいろなことに興味を持てば、新しいことを学ぼうとする意欲の扉が次々と開かれます。何歳になっても、いつでも出会いを楽しみたいと思う、好奇心いっぱいの三歳児の心ならば、旅は、そして人生はきっと楽しいものになるでしょうね。

職場や学校で、また家庭やご近所で、私たちは知らず知らずのうちに、「いつものメンバー」とばかり向き合っていることが多いものです。そのために、いつもの思考パターンで苦しんだり、いつもの行動パターンで諦めたり、変化のない人間関係のなかで考え方を縛られていることはないでしょうか。もし、その場所で自分を偽って、喜びが感じられなくなってしまっているのなら、旅に出るように、その場所や人といったん距離を置いてみることも、あっていいと思います。

春、これから新しい環境に飛び込もうとする人には、期待とともに不安がつきものです。けれども、これから出会うさまざまな人は、いろいろな意味で自分を育ててくれる大切な人たちです。

変化を恐れず、出会いを楽しむ心で自分から声をかけていくヒッチハイクのような人生の旅は、何歳になっても始められると思いますよ。

(終)

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