(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1138回

ごめんなさいね

仲のいいママ友からの、心からの「ごめんなさいね」。言葉に心を込めることの大切さを教えてもらった。

ごめんなさいね

 大阪府在住  芦田 京子

 

私には三人の子供がいる。今ではそれぞれ結婚して、孫たちが賑やかなことだ。子育ての最中には、いまでいう「ママ友」ができる。幼稚園の送り迎えで何となく親しくなるのだ。たくさんの友に恵まれ、教会の行事にも親子で参加してくれたりして、とても有り難かった。

その中の一人に、Nさんがいた。彼女はとにかくおしゃれで、いつもきれいにお化粧をし、センスのいい服装をしていた。田舎の幼稚園の園庭では、あまりお目にかかれないタイプだった。

ある日、何気ない話をしていたら、「引っ越してきたので、まだあまり知り合いがいないの。よかったら遊びに来て」と、住所を教えてくれた。すぐ近くだったので、子供同士も仲良くなった。お互い三人子供がいて、ほぼ同じ学年だったので、しゅっちゅう行き来をするようになった。

教会の行事が忙しかったといえば聞こえはいいが、とにかく私は忘れっぽくて、幼稚園の遠足の日もうっかり忘れてしまうぐらいだ。彼女はそんな私を気にかけてくれて、幼稚園で何か行事があるときは、前日に必ず電話をかけてきてくれた。

しばし雑談をしたあと、「明日の遠足、お天気良さそうで良かったわね」などと言う。私はびっくりして、「えー、明日遠足だったっけ?」と、そこで初めて思い出して、慌てて支度を始めるという具合だ。

彼女はとても器用で、ファッション関係の仕事をしていたので、教会の鼓笛隊のユニフォームも作ってくれた。三人の子供たちも教会行事によく参加してくれた。振り返ってみれば、しっかり者の彼女と、おっちょこちょいの私は、またとない組み合わせだったのかもしれない。

そんな長いお付き合いの中で、忘れられない思い出がある。
まだお互いの娘が幼稚園に行っていた頃のこと、ある日、彼女から電話がかかってきた。彼女の娘のS子ちゃんと、私の娘が二人で買い物に行ったらしく、おやつを持っているという。彼女はS子ちゃんにお金を持たせた覚えはなく、私の娘に「そのお金どうしたの?」と聞いたそうだ。ところが、いくら聞いても黙っていて、何も言わないのだという。

彼女は、そんな私の娘の態度に腹を立てていた。私は娘を家に連れて帰り、「そのお金、どうしたの」とあらためて聞いてみた。しばらく黙っていたが、「S子ちゃんがくれたの。一緒におやつ買いに行こうって。誰にも言わないでねって」

S子ちゃんは私の娘より一つ年上だった。私がすぐに電話で伝えると、彼女は「娘に確かめてみるわ」と言った。しばらくして電話があり、事実だということだった。

そして、
「ごめんなさいね。本当に悪かったわ。許してね」
と心を込めて言ってくれた。

しっかり者の彼女が何の言い訳もせず、ただ謝るのは、さぞかし勇気と覚悟がいっただろう。その言葉は、私の心に染みた。これまで生きてきた中で、あのときの「ごめんなさい」ほど、本当の「ごめん」はなかったと思う。

子供というものは、良くも悪くも、親が思ってもみないようなことをする。そんなとき、私も含めて、親たちは、お礼にしろお詫びにしろ、どのような心で、どのような言葉でその場に臨んでいるのだろうか。

子供に非があっても、人から指摘されると、何とか理由をつけて我が子の肩を持ちたくなるものだ。まして、相手に伝わる心からのお詫びの言葉など、そうそう言えるものではない。私にできるかしらと思うと、彼女は偉いなあと心から思った。

思うに、私たちの使う言葉の基本は、ほぼ同じだ。お礼を言いたいときには「ありがとう」と言い、悪かったと思えば「ごめんね」と言う。朝、顔を合わせたら「おはよう」と声をかけ、日中出会えば「こんにちは」、夜は「おやすみなさい」。頼みごとがあるときは「お願いします」と言ったりする。決まり文句なのだ。挨拶をしない人は論外だが、同じように挨拶をしていたとしても、長い間に、人によってその人生に差が出てくるような気がする。それはなぜなんだろう。

私はその理由は、言葉に心が込められているか、いないかだと思っている。たまに、「こんな言い方をするんなら、お礼なんて言って欲しくなかったな」と感じてしまう人がいたりする。ケンカを売られているのかと、勘違いしてしまうような謝罪もある。また、とても丁寧なのに、どこか表面的な印象を受けることもある。

やっぱり、気持ちが伴わない言葉は、なんだか虚しいのだ。当たり前の挨拶や、普段の何気ない言葉を、私たちはどんな風に声に出して相手に伝えているのか、一度見直してみるのもいいかもしれない。決まり文句のような日々の言葉の使い方、声のかけ方が、案外人生を左右しているのではないだろうか。

あのときの「ごめんなさいね」が、いまも私の耳から離れない。

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