第1160回2022年1月8日・9日放送
ムカデ事件簿
長女を刺したムカデを家族一丸となって退治。チームがまとまるには「共通の敵を作る」のが一番だと聞いたが…。
ムカデ事件簿
岡山県在住 山﨑 石根
昨年の9月初旬のある夕方のことでした。帰宅すると、小学5年生の長女と3年生の三男がきょうだいゲンカをしていました。
聞くと、その朝、私がご褒美で買い与えたお菓子の味でケンカをしているとのこと。それは、朝から教会の掃除を一生懸命頑張った二人に、珍しく私が買ってきたお菓子なのですが、二種類の味を準備したのが仇となったようです。片方の味は二人とも嫌いなようで、「私がそっち!」「僕のほうがそっち!」と取り合いになっていました。
しかし、お金を出した私からすればいい気はしません。
「買ってもらっといて、何やその態度は!いらんのやったら、もう二度と買わんわ!」と、大人げなくつい感情的になってしまいました。
弟のほうは、それでも「だって…、嫌いな味なんじゃもん」と泣きながら抵抗してきますが、姉のほうは私が怒っている空気を察して、サッとその場を離れ、取り込まれた洗濯物をたたみ始めました。この辺りの動きは、さすが長女です。
ところが、その時、「痛~っ!」突然の悲鳴と共に、長女が激しく泣き出しました。
「何かに刺された! 何か分からんけど、痛い!痛い!痛い!」
「蜂かも?」と思った私は、すぐさま長女を洗面所へ連れて行き、血が出ている指先に流水を当てながら、毒を絞り出すようにつまみました。
「こうやりながら、ずっと水に当てとくんで」と指示した私は、犯人を捜すために洗濯物の所へ引き返しました。そこにあったのは、奇しくも私のお気に入りのTシャツ。私のTシャツを畳もうとしてくれていたのか…と思うと、何だか怒りが込み上げてきます。
私は犯人は蜂だと思い込んでいるので、側にあった座椅子で何度もTシャツを叩きました。やっつけたかなあと思いながら、そっとTシャツを持ち上げると、何物かがスルッと絨毯の上に落ちてきたのです。
それは、ムカデでした。しかも大物です。犯人は、お前だったのか…!
「ムカデや!」
と私が叫ぶと、すぐに側にいた次男と三男が走り出しました。
最初に火ばさみを見つけたのは三男だったようですが、「僕のほうが早い!」と次男がそれを受け取り、猛ダッシュで私のところへ持ってきてくれました。私はすぐに火ばさみでヤツを掴み、渡り廊下まで移動し、地面の上でムカデを退治しました。
余談になりますが、その渡り廊下では、大きな衣装ケースを改良した手作りの虫かごの中で、カブトムシが6匹飼われています。
「同じ虫なのに、この対応…。えらい差やなあ」と、どこか同情が湧きつつも、可愛い娘の指を傷つけた犯人を、私はようやく成敗したのです。
再び洗面所にいる長女の元に戻ると、一番下の次女が絆創膏を手渡してきました。彼女も何かしなくちゃ…と、救急箱から探してきたのでしょう。
「確か、ムカデに効く塗り薬があったと思うけど…」と私が言うと、タイミングを同じくして、三男が台所にいた妻を連れてきました。「薬はここやで」と。やっぱりお母ちゃんはさすがです。
しかし、まぁ、何というチームワークなんでしょう。
学生の頃、たしか心理学の授業で、次のような話を聞いたことがあります。
チームをまとめる最も簡単な方法は、共通の敵を作ること。チームの中で仲の悪いメンバーがいたとしても、共通の敵がいればまとまりやすいそうです。まさしく、ムカデという共通の敵が表れた時、それまでケンカをしていた家族は一つになりました。
しかし、敵をやっつけるために一つになるというのは、何だか信仰的ではありません。それこそ、今は新型コロナウイルスという人類共通の敵がいるわけですが、教会では、その敵を退治するというよりは、この事情が治まり、罹患した方が少しでも良くなるように、毎日祈りを捧げています。信仰者たる者、神様に願う心で一つになりたいものです。
コロナ時代に入り、それまでずっと続けていた子どもの行事である「教会おとまり会」が出来なくなりました。一年近く止まってしまいましたが、現在では「教会こども会」と称して、宿泊や食事をしない行事を、感染対策を講じながら再開しています。
その行事で必ずしていることがあります。それは「お願いづとめ」と言って、新型コロナウイルスの感染拡大の収束をみんなで祈るのです。もちろん、天理教の教理の深いところまで子どもたちは分かりません。それでも、祈るみんなの眼差しは、いつでも真剣そのものです。
教会の行事を通して、子どもたちとこのような形で一つになれることに、いつも熱い思いが込み上げてきます。やっぱり共通の敵より、共通の目標のほうがいいに決まっています。
神様のお言葉に、
をやこでもふう/\のなかもきよたいも
みなめへ/\に心ちがうで(「おふでさき」五 8)
というお歌があります。
だからケンカが起こるのは当然です。でも、共通の目標があれば一つになれるというのが私たちの教えです。それは「陽気ぐらし」という目標なのだと思います。
翌朝、「もう痛くないよ」という長女の笑顔に、ホッとしました。
「でも、私がこんなに大変だった時にお兄ちゃん、おらんかったんで~」
と、その時不在だった長男を責めていました。
「そんなこと言われても…」
家族と一つになれなかった長男が、ボソッと呟きました。