第1378回2026年3月20日配信
縁に揺さぶられて
妻と結婚して9年。仲が良かったり悪かったり、色々な時があるが、たすけ合える夫婦に近づいていることを実感する。
縁に揺さぶられて
千葉県在住 中臺 眞治
妻と出会って10年。結婚してからは9年が経ちました。「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、お互い出会った頃は足りない部分さえも魅力的に感じたものですが、結婚してからはケンカの絶えない時期もありました。
私は妻の気持ちを察するのが苦手なので、「分かり合えない夫よ、おやすみ」と茶化され、私も苦し紛れに「分かり合えない妻よ、おやすみ」と返していた時もあります。仲が良かったり悪かったり、未だに色んな時期がありますが、それでも一緒に生きてきた10年という歳月が、少しずつ私たちをたすけ合って生きられる夫婦に近づけてくれているように感じます。
妻は信仰熱心な信者家庭で生まれ育ちました。そして、大学を卒業後は保育士として勤めていましたが、32歳の時、私と結婚し、当教会に嫁いできてくれました。それまでとは大きく異なる環境に、戸惑うことも多かったと思います。
当教会には、結婚当初から身寄りのない高齢の方々が一緒に暮らしていました。また、その後も様々な事情で人生に行き詰まった方々を教会で受け入れています。そうした暮らしは、妻からすれば望んでいたような生き方ではなかっただろうと思います。しかし、そういう生き方しか出来ない私を妻は理解し、尊重してくれているのだと、有り難く感じています。
結婚して数年が経った頃、妻に「教会に来て一番しんどかったことは何だった?」と、何気なく尋ねたことがありました。私はてっきり、経済的なことに一番苦労を感じているのかなと勝手に考えていたのですが、意外な答えが返ってきました。
妻は、「教会の奥さんだからこうあらねばと考えてしまっていた時期や、どうして思うようにたすけ心が湧いてこないのだろう?と考えてしまう時期が一番苦しかった」と話してくれました。
誤解のないようにお伝えすると、妻は元々情に厚く、決して冷たい人ではありません。教会での生活に真剣に向き合ってくれていたからこそ、悩んでいたのだと思います。また、多くの困難を抱えている方々と一緒に暮らし、その生きづらさに触れれば触れるほど、自分の心が思うように動かないことに戸惑い、苦しんでいたのだと思います。
どうしたら、心の底から人にたすかって頂きたいと願える心になれるのか。その問いに私は答えを持っていません。私自身も相手のたすかりを願える時もあれば、「これ以上は無理」と限界を感じて願えなくなる時もあります。
未熟さという意味では、私も妻も何ら変わらないのです。ですが、たとえ心が伴わなくても、相手との関係を保ち続けることが大切ではないかと感じていたので、その思いを妻に伝えたこともありました。
この出来事から数年が経ったある日、部屋に戻ると、そこには泣いている妻がいました。私は戸惑い、「どうしたの?」と尋ねると、「神様、親心いっぱいだなと思って」と。それまで妻は、神様の親心を実感したことがないと話していたので、「どういうこと?」とさらに尋ねました。
妻はその日、ボーっとしながら、これまで教会で一緒に暮らしてきた人たちのことを思い返していたのです。
「最初に来たのがAさんだから良かったんだな。最初がBさんだったら、そこで私の心は折れていただろうな」 「Cさんがいた時にDさんがいてくれたから、Cさんの心は救われたんだろうな」
そうした点と点が線としてつながって、「ちょうどいい時に、ちょうどいい人と出会えるように神様が縁をつないで下さっていたんだな」と感じ、その親心が胸に迫り涙が流れてきたとのことでした。
私は時々、自分の生き方が妻の人生を犠牲にしているのではないだろうかと、悩んでしまうことがあります。ですが、この出来事以降、妻が「教会って面白いね」と時々言ってくれるようになり、私にとって大きな救いになっています。
そんな妻は、数年前から教会で「こども食堂」を実施するようになりました。妻は楽しいことを考えるのが得意なので、様々なイベントを交えながら実施しているのですが、そこでも多くの出会いがあり、今では夫婦の生きがいの一つになっています。
結婚当初は、お互い「この人とは合わない」と感じることもありましたが、時を経て振り返ってみると、妻との縁もまた神様のあたたかいご守護であったのだと感じます。
夫婦であっても心はそれぞれに違い、望む生き方も違います。だからこそ、「相手は自分との人生に納得して生きられているだろうか」と自らに問い続け、その問いに少しずつでも「イエス」と答えられる歩みを重ねていくことが、大切ではないでしょうか。
そして、その問いを夫婦に限らず、出会う人、一人々々を通して、自分自身に問い続けていきたいと思っています。
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