(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1160回

人がめどか

初期の信者が、教祖をお慕いする気持ちがいかに強かったか。一つのエピソードを紹介する。

人がめどか

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、この世界の元初りの真実、そして私たちが目指すべき陽気ぐらしについて、何も分からない人々に、常にあたたかい親心の限りを尽くし、根気よく教え導いてくださいました。

当時、信仰についた人々が、教祖をお慕いする気持ちがいかに強かったか、こんなエピソードが残されています。

 

明治十四年、左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんという人が信仰につきました。間もなく教祖の新しいお住まいの建築が始まると、四郎兵衛さんは、身についた技術をもってご奉公させていただきたいと、昼間は地元の大阪で忙しく働き、仕事を終えると歩いてお屋敷へ帰り、翌早朝から甲斐々々しく壁塗りのひのきしんに精を出すという、まさに夜を日についでの大活躍でした。

ところが、心を磨く砥石はどこにでもあるものです。誰が言ったか、四郎兵衛さんのひのきしんの姿を指しながら、「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て」と陰口をささやく者がありました。

これが本人の耳に入ったのだからたまりません。一生懸命に真実を尽くしていただけに、思いもよらぬ陰口は、四郎兵衛さんの心を大きくかき乱しました。抑えようのない激しい憤りから、大阪へ戻る決意をした四郎兵衛さん、その夜、皆の寝静まるのを待って、秘かに荷物をまとめ、お屋敷の門を出ました。

足音を忍ばせつつ、教祖のお部屋の軒下にさしかかった時、お部屋の中からコホンと一つ、咳払いが聞こえてきたのです。「あ、教祖が」。四郎兵衛さんはその場に立ちすくんで、足を前に進めることができませんでした。

「自分は今、腹を立ててお屋敷を逃げ出そうとしているが、こんな去り方をすれば再びここには戻れない。そうすれば、もう二度と教祖にお目にかかることができなくなってしまうのだ」。

抑えることのできない教祖への思いが、強く四郎兵衛さんの胸につきあげ、昼間の意地も腹立ちもどこかへ消え去ってしまいました。すると、足は無意識のうちに再びお屋敷へ向かいます。

翌朝、四郎兵衛さんが皆とご飯をいただいていると、教祖がお出ましになり、「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで」と仰せくだされたのです。

後年、四郎兵衛さんは、「あの晩、もし教祖のお咳が聞こえなかったら、また、翌朝あのお諭しをいただかなかったら、気の短い自分はどうなっていたかわからない」と述懐しました。(教祖伝逸話篇123「人がめどか」)

 

教祖のお咳一つを聞いただけで、意地も憤怒も一度に消え去り、ただ、教祖をお慕いする気持ちで胸がいっぱいになってしまう。日夜限りない親心で人々を慈しみ、お連れ通りくださる教祖は、これほどまでに力強く、信仰者たちの心の奥深くに影響を与えておられたのです。

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